ダイビングにみる個人的な意義 | 3年前のしこうの楽しみ

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覚醒ダイビング合宿で宮古島へ行きました。
羽田の始発便で向かった初日は残念ながら雨でした。
当初の予定では到着後すぐに潜りにいく船に乗るところでした。

しかし、風も強く波が高いので行けなくなってしまいました。
近場のビーチであれば潜れるとのことでしたが、この日はのんびり過ごすことにしました。
一般的にはせっかくの早起きが無駄になったというところでしょうか。

しかし、進めたい仕事もあったのでそれはそれでありがたい感じでした。
目的通りにいかないことへの反応は全くなくなっているようです。
状況に合わせて受け取るメンタリティが定着してきたのかもしれません。

こんなことを考えていたのですが、ふと他の視点も思い浮かびました。
そもそもダイビングができてもできなくてもどっちでも良いという感覚だったのです。
どっちにしても受け取るものはあるという気分です。

なので、反応がないのも当然のことでしょう。
もちろんスキーなどでもそういう部分はあるのですが、なんだか少し異なるような気がしました。
他の活動では目的通りにいかないことも受け入れつつも、ある程度は予定通りに実現できることを信頼している気がします。

しかし、ダイビングは本当にどっちかわからないという立ち位置なのです。
ということで、同行者の天気運の悪さの影響が予想されるにも関わらず、自分もそれを許容しきってしまっているからこそ天候に恵まれないことが多いということが認識できました。
そんなわけで、この日の夜にちゃんと目的がかなうように意図してみました。

すると、同時に自分がダイビングを通じて受け取りたいものが明確になっていないこともわかりました。
これまた、スキーや登山などに比べるとぼんやりしているのです。
潜ることで得られるものがあるという実感はあるのもの、顕在意識ではなぜダイビングを続けているのか理解できていない状態だったのです。

そんな感じで2日目を迎えると、海峡はまあまあ回復して揺れるものの船は出せる状況になりました。
まだ明確にこの活動の意義をとらえていなかったので、この日は少し逃げ腰だったかもしれません。
あまり楽しむことができず、それでも潜った方が良いことはわかっているから休むという選択をしないという少し修行のようなイメージでした。

そして、その日の夜に再度続きを探ってみました。
自分にとってのダイビングの効用にしっかり意識を向けてみたわけです。
海中といっても今や非日常感も薄れてダイナミックな地形にも感動は薄く、そこまで珍しい魚に出会いことにも興味が持てず、頑張ってまでマンタやサメなどの大物を見たいという欲求もなく、今以上美しい写真を撮ろうという向上心もないという一見ネガティブのような状態です。

逆に言うならこれ以上の満足を求めていないということでもあるでしょう。
この段階でダイビングをやらなくなる人も多いと聞いたことがあります。
ただ、この視点がヒントになりました。

今までは何らかの満足感を求めていたということで、本当に得ようとしているものがブラインドに隠れていたわけです。
ということで、そういった外的な満足がなくてもダイビングで得られるものを考えてみました。
そして出てきた答えが、自分の状態が安定しているかどうかを微細にチェックできるということがわかりました。

状態が安定していればそれだけエアの持ちも良くなるし無駄な動きもしなくなるのです。
つまり、ある種の診断効果があるということです。
これに気づいたからか3日目は天候も良く主体的に楽しみつつ自分の状態チェックができました。

ふと気づくと、2年前に同じエリアを潜った時よりも視野の広さや安定感が上がっていることが知覚できたのでした。

谷 孝祐
2015.12.10 14:20