予定決めと時間感覚の変化 | 3年前のしこうの楽しみ

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来年の概ねの予定が決まってきました。
旅を通じて潜在的なプロセスを進める体験型セミナーである識匠会の日程調整がほぼ完了したことが大きく影響しているでしょう。
これが決まると、すでに暫定的に入れていた予定も確定できるためです。

その様子を見ていると今までになく詰まっている印象です。
ここ数年、翌年こそ暇な時間を作ろうと思いつつ、それと逆行するかのように年を重ねるごとに時間の余裕が減ってくる傾向がありましたが、その流れをも無視してジャンプして異次元に行ってしまったような感じがします。
今年の来月の予定表と来年の12月の予定表を見比べてみても、どちらが1年後のものなのか分からないくらい同じように隙間がないのです。

もちろん、入ってくるであろう予定も加味しての空き状況ですが、すでにそれを考えておかないといけないような気分になるくらいだということです。
想定はしていたものの、ビジネススクールに入ったことで予想以上にタイトなスケジュールを強いられるようなのです。
今期は趣味程度でしか履修していないので、初めてその実感が湧いてきています。

今までの人生でここまで余地のないことが事前に分かっている1年はなかったかもしれません。
意図はないものの自分の限界に挑戦して時間の使い方を上達させようと意識しているかのようですらあります。
だからといってこうなったことへの後悔があるわけでもありません。

そして、それに対する反応もありません。
以前であれば、もう少し余裕を作りたいとかこれで体がもつのかとかと考えていましたが、そんなこともなく受け入れてしまっているような感覚があります。
ある意味、これ以上できないくらいに整理されて詰め込まれているので清々しさもあるくらいです。

これがどうなのかという評価は実際にその時になってみないと分かりませんが、逃げ道のないくらいにやるべきことに無駄なく向き合わされているような実感もあります。
だから何も不満を感じないのかもしれません。
そして、このことはすでに時間感覚に変化をもたらしてくれているようです。

自分にとって先の予定を決めるという行為は選択における総合課題のようなもので、前後関係における流れや適切なタイミングと共にその時の自分の状態や周囲の状況なども意識に入れて行うものです。
なんとなくその精度が高まっているような実感があり、将来のその日が目の前の明日と同等な比重で感じられるのです。
今までもその傾向はあったのですが、その実体感の違いのなさは少し驚くほどです。

せっかくなので、結果的に得られたこの繊細な知覚を他の方面にも生かしていきたいと思います。

谷 孝祐
2015.11.25 21:04