受け取ることと自立の関係性 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

ホテルの一室から外を眺めていてふと思ったことがありました。
それはこの瞬間をできる限り受け取ろうという発想でした。
何が刺激になったのかはわかりませんが突然頭に浮かんできたのでした。

そしてそのあとすぐに、受け取るということはどういうことかという疑問が出てきました。
感覚的には明確にとらえている気がするものの、観念的には定義できていないように感じたのでした。
そこでこの作業をしてみることにしました。

面白いことに、そう思った瞬間に答えが出てしまいました。
まるで潜在意識において出ていた回答に意識が向いたことによって顕在化したような感覚でした。
ということで大して考える必要もなくなってしまいました。

あえて表現するのであれば、受け取ることは共鳴状態になることと言えそうです。
例えば、自分の価値を受け取るのであれば、自分の価値と自分の意識が共鳴状態になるということです。
その結果、共鳴した対象を主体的に生かすことができるようになるのでしょう。

この例で言うなら、自分の価値を受け取ったことによってそれを主体的に生かすことができるようになるということです。
そういう意味では、受け取ることは自立の基本とも言えるかもしれません。
どんなに才能に恵まれていて貢献できたとしても、その才能を自主的に扱えないのであれば、才能発揮に対して誰かの力を必須とするのであれば、依存状態であるととらえることもできるということです。

もちろん、それが悪いわけでもありませんが、本人の幸福度という観点からは自立状態の方が意味があるのかもしれません。
となると、この瞬間をできる限り受け取るということは、この瞬間と可能な限り共鳴して主体的に生かすことのできる状態を作ろうとすることとも言えそうです。
それを何に生かすかは状況次第でしょうが、そうすることによってこの瞬間に意識を合わすことができ、時間軸と空間軸の中でのある1点であるその場に本当の意味で存在することができ、体験が自分の内面に蓄積されていくのかもしれません。

厳密には蓄積というよりも時空を超えた関連づけが維持されるという方が正確でしょう。
過去の自分の体験も、その瞬間に対する意識のコネクトがあるからこそ、自分のものとして扱えるということです。
結局のところ、この瞬間という環境に流されるのではなく、この瞬間に主体的に関わる自立的な状態で必要であることが推測できます。

このように考えると、時間軸における受け取り全体にフォーカスしていくと、自分の人生そのものを受け取ることにつながり、それは主体的に生きる度合いを高めてくれることがわかるでしょう。
そんなわけで、受け取ることは主体的に生きることと強く関連しているのだと納得したのでした。

谷 孝祐
2015.11.18 22:23