消えていく自分の中の大学 | 3年前のしこうの楽しみ

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卒業以来初めて出身の大学に足を運びました。
すぐ近くまで行くことはあっても今まで特に行く理由がなかったのです。
しかし、今回はビジネススクールの件で証明書が必要で取りに行きました。

駐車場を探す手間を考えて電車で行きましたが、現在の自宅から想像以上に近いことを実感しつつ、大学の最寄駅に到着しました。
そして、なんとなく当時の感覚が呼び覚まされるような気がしつつ、通学路でもあった道をのんびり歩いてキャンパスに到着しました。
まだ夏休み期間のようで学生はほとんどいない様子でした。

それが自分にとっては良かったように思います。
結果的に学生時代の自分を回想しやすい静かな状況でした。
とはいえ、キャンパスの様子はかなり変わっていました。

古くてあまり綺麗とは言えない校舎は次から次に建て替えられているようでした。
もちろん、定期的に大学から届くレターで再開発が進んでいることは頭の隅で知っていましたが、その様子を目の当たりにして自分のイメージに残っている大学が消えていくようにも感じました。
良くも悪くも無機的でおしゃれになっていくような印象で、以前持っていた無骨な学び舎という雰囲気は学生運動の記憶を抹消するかのようになくなっていたのです。

そんなわけで時代が変わっていることを体感したのでした。
講義が行われるメインだった校舎は最後の聖域のように残っていて、そこに証明書の窓口がありました。
こういった変化の途中の継ぎ接ぎの仮住まいのようなキャンパスの雰囲気は面白くもありました。

ただ、その校舎に佇むと当時の喧騒が聞こえてくるかのようで、昔の自分とつながりが強まって一致感が高まる感覚が生まれました。
腰掛けのように肩手間で通っていたという認識だった大学でしたが、自分が思っていたよりも多くのことをそこで得ていたことがとらえられ、少し感慨深いものがありました。
それと共に、自分の人生において一番自己不一致だった時期でもあり、案外覚えていないことが多いことに気づきました。

特に成績証明書を見てみると、まるで他人のものであるかのように何も思うところがないのです。
感じることといえばこんな講義も取っていたのかということくらいで、懐かしさやその講義の記憶が上がってくることもほとんどありませんでした。
そんなわけで、自分がこの時期に顕在的には受け取り損なっているものがあるような気がしてきました。

もしかしたら、それを自分の手元に持ってきて生かせるようになるために、今回のビジネススクールの流れができたのかもしれません。
そんなわけで、これから関わる教授に主体的に関わろうと思いました。
それにしても、過去に自分がいた場所に足を運ぶことは思っていた以上に意義深いもので、潜在意識が整理される可能性に秘めているのだということを感じたのでした。

完全に変わる前のこのタイミングで行けたことはとても良かったです。

谷 孝祐
2015.9.13 10:55