本との関係性の新たな扉 | 3年前のしこうの楽しみ

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ちょっとした付き合いで歩くことになりました。
暑いさなかとはいえ、少し和らいで過ごしやすくなったくらいの気候でした。
そんなわけで思ったよりも長時間の散歩になりました。

そして、特に目的もなかったのですが大きな本屋の近くまで移動していました。
なので、ふと思い立って立ち寄ることにしました。
なんとなく書店に入るのは久々でした。

中に入り、適当に棚を回っていて、そういった余裕もしばらくなくなっていたのだと感じました。
昔はそんな感じでふらふらと目に付いた本を買っていたものです。
1度に10冊くらい手にして帰ることも特別なことではありませんでした。

そんなことを思い出しながら、以前ほど興味のある本がないということを確認しました。
手に取ってみようと思う本があまりないのです。
これは残念なことでした。

人生の楽しみが少しだけ欠けてしまったような気分になりました。
ただ、これは面白い本が減っているという状況と自分の変化が重なってのことのよう気がしました。
以前に出版社の編集の人に聞いていた価値ある本が出しにくくなっている事実を実感するとともに、自分がどう変わったのかを明確にしてくれたわけです。

ひとつ、本の作り手の視点が強まったようでした。
そのために企画意図や著者の目論見がとらえやすくなったようです。
本人が書いた文章かどうかもとらえやすくなってしまいました。

結果的に、純粋な観客としての楽しみが得られなくなったと推測されます。
それとともに、タイトルに反応しなくなりました。
こうなってみて、いかにその影響を受けていたのかが感じ取れました。

そして、タイトルに見合わない本もたくさん読んだ記憶が浮かび上がってきました。
そういった変化を認識しながら、自分と本との関係を再定義する必要を感じてきました。
これは、本から学ぶという価値観からの脱却のようでもありました。

自分の感覚を探っていると、本を読むことは学びの常套手段というイメージだったけれど、今やそのようにはとらえられなくなっているようでした。
そのため、そこまで大きな金額ではないのに、投資価値が見出せなくなっていることが分かりました。
こうなると本から遠ざかる一方です。

それでも良いといえばそうなのですが本からの刺激が全くいらないという気もしないので、適正化が必要になったわけです。
帰り道、どうすれば適度に収まるのかということに意識を向けていると、自分のためというよりは社会の状況を知る窓として新聞感覚でとらえるとしっくりくるように思いました。
ひとまずそんな感じでライトに本と付き合っていこうと決めたのでした。

谷 孝祐
2015.8.16 1:18