今生の印象的な体験2 | 3年前のしこうの楽しみ

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印象的な体験というよりは単純に記憶に残っているだけのことですが取り扱いたいと思います。
それは特に何かが起きたというよりは日常的なことです。
なのでこの記憶が正しいのかどうかはわかりません。

ただ、自分が思っているよりも今に影響があるのかもしれません。
それは、自分の中ではまだ歩けない頃からの話だった気がしますが、もしかしたらもう少し大きかったのかもしれません。
少なくとも自己認識としては床に座れるようになったころのことです。

いつ与えられたかという記憶はありませんが、この頃に積木遊びが始まりました。
遊びといっても最初は手に持って口に運ぶ程度だったでしょう。
今も意識を向ければなんとなくその感触がよみがえります。

それは大人になった自分が想像するほど硬くなく、口に運ぶ角度によって積木が当たる感覚の違いがあって、それを楽しんでいたようです。
今思えばこうやって食べる動作の練習していたのでしょうか。
もしかしたら、赤ちゃんが何でも口に持っていってしまうのはこのような理由があるかもしれません。

自分の記憶の中では次第に思ったように積木を持って、好きな角度で口に入れられるようになったような印象が残っています。
これはささやかで誰にでもある体験かもしれませんが、案外重要なことでしょう。
自分の子どもを見ていても、体のほとんどが自分の意図通りには動かせずに不満に感じていそうな時がよくありますが、こういう練習を通じて意識と体がコネクトしていくという可能性はありそうです。

そして、自分の場合は、口に運ぶ遊び方から次第に積木本来の遊び方に移行していきました。
といってもまだまだ単純に積み上げていく程度でしたが、これまた意識を使ったような気がします。
単純すぎて目標は高く積み上げることくらいしかない遊びですが、感覚が磨かれたような気がします。

それはイメージ通りに手を動かして置きたい場所に積木を置くという感覚です。
思い返してみると、これは案外繊細な作業だったように感じます。
当たり前ですが、雑に行ってしまうと崩れるのがはやいわけです。

これを通じて、動作の正確性を鍛えられていたのかもしれません。
今まで意識していませんでしたが、このように思い返してみると小さい頃から空間認識の基礎トレーニングをしていたのだと実感します。
今の自分が、何もない空間に立体がどのように積み上がるかというイメージが比較的明瞭にできるのも、この遊びがベースになっていそうです。

そしてこれは物の整理整頓にも影響していそうです。
今さらながら与えてくれた両親または祖父母に感謝です。
そんなわけで、自分の子どもにもこの古典的なおもちゃを与えてみるのもよいかと思いました。

谷 孝祐
2015.7.24 16:25