「いいね」の変化 | 3年前のしこうの楽しみ

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ある人と話していてFacebookの話題になりました。
その人曰く、以前と雰囲気が変わっていて使うことのリスクを感じるとのことでした。
そして、前はかなり使っていたけれど今は距離をおいてほとんど見ていないようでした。

個人的にはほとんど利用していないのに等しい状況なので実感もなく、そんなこともあるものなのかという程度に聞いていました。
しかし、少し気になったのでページを見せてもらうことにしました。
これは久々の体験でした。

確かになんだか変わった気がしました。
特に何というわけではありませんが、軽さがなくなったように感じました。
表現を変えるなら、以前はある意味の無責任さも問題にならない状況で人とつながっていくツールという印象でしたが、少し責任を持って関わる必要が出てきたイメージです。

何がこの変化をもたらしたかはわかりませんが、確かに自分が積極的に使っていたのであれば考え直す必要があるように思いました。
特に気になったのが、「いいね」を押すことについての意味です。
本来はパッと見て直感的にいいと思ったらそれを意思表示する程度のものでしょう。

自分は押したことはないどころかどこに押すところがあるか記憶にないほどですが、ライトでその場限りのもののように認識していました。
しかし、今回感じたのは「いいね」を押すことが相手の存在価値を高めることにつながりかねない可能性でした。
これは具体的には、「いいね」を押すことで結果的に相手の全てを容認する立ち位置になりかねないというリスクを感じたということです。

これをどのようにとらえるかは人によりけりだと思いますが、投稿された記事に対して「いいね」をしたのに相手に対して「何があっても100%味方です」と面と向かって伝えるくらいの力がかかりかねません。
そんなわけで無意識的に「いいね」を押してしまった場合の自分への影響度は未知です。
もちろん相手について何があっても100%味方だと思っているのであれば問題ありませんが、そうでない場合に自分の内面的立ち位置と実際に行った行動にズレが出て、自己不一致の方向に引っ張られてしまう可能性があるでしょう。

数回程度であれば影響はないに等しいでしょうが、習慣化されて蓄積されていると自分を見失いやすくなるように思います。
そんなわけで、Facebookに限らず自分が使っているツールが目的に合っているのか、定期的にチェックした方が良いのだということを学びました。

谷 孝祐
2015.7.11 17:38