国際村最終夜にもう一つ感じたことがありました。
それは人生の第2章がこれから始まるという予感でした。
なんとなくというよりは明確にこの言葉が浮かんだのでした。
今回の体験はそこまでの区切りになっているということなのでしょうか。
しかし、ここでふと疑問が浮かび上がりました。
まず自分の人生が何章まであるのかということです。
何となく第2章で終わりという気はしていません。
それは自分の選択によって変わっていくのかもしれませんが、そうであるなら何歳まで生きることになるのでしょうか。
生まれて今までが第1章であり、今後も同じようなスパンであるならなかなかの長生きになってしまうことでしょう。
もし第4章まであるとするなら奇跡的な話になってしまいます。
かといって各章の長さが極端に異なるとも思えません。
そう考えると今まで全てが第1章だったという発想にピンとこなくなってきて、気づいていないその始まりがあったのではないかという気がしてきました。
そして、その前が第0章だったと認識する方がしっくりくる感じがしました。
ということで、そうであるならそれがいつだったのかということに意識が向きました。
そもそも今が区切りであるとするなら、何らかの変化があることになるでしょう。
それはおそらく軸のようなものだと考えられます。
だったら第1章の軸が明確になればその始まりも浮き彫りになるかもしれません。
そんな思索を巡らせているとなんとなく意識の置かれた領域に違いがあるような気がしました。
明確にはとらえられないものの、どうも第2章は完全に自分とか個という領域の外での意識活動がメインになるような感覚があります。
これを分かりやすく言い換えるのであれば、個人としての幸せや満足というものの外に出て、より全体の幸せや満足にフォーカスしきるところに移行するイメージです。
そうであるなら自分個人をどうしていくのかということを明確に決めたのが第1章の始まりになることでしょう。
ちなみに方向付けが定まっていなかった頃が第0章に該当することでしょう。
このように考えていくと、20歳の頃に限界が訪れるまでは好きなことをして生きようと決めたことが思い出されました。
それと共に今の自分にとってそこを卒業する時期が来たのだという気がしてきました。
家族が増えたことだけをとってみてもそれは確かなことかもしれません。
好きなこと以外が人生に入り込みにくい状態になっていてそれ以外の選択肢が浮かばなくなったからこそ、次の段階がやってきたということも推測できます。
今のところこの先に進んでいくための参考情報はありませんが、あえて言うなら自他の線引きがなくそれらのバランスが均衡した状態にあることが重要な要素かもしれません。
日々精進していきたいと思います。
谷 孝祐
2015.6.6 23:48