マダガスカルにいるとなぜだか中央アジアの車窓を思い出します。
車で走っていてふと全く関係のないその風景がよぎるのです。
それとともにとても良いところだったように思い返されます。
また行きたいというような発想も出てきます。
確かに印象的な景色が多かったのは事実です。
しかし、何が起きているのでしょうか。
こんなことは初めての体験です。
そんなわけでその不可解な現象に関係しそうな幾分詰まったような感覚にフォーカスしてみると、未解決の何かがあるような気がしました。
それは、現地でリアルタイムに感じられなかったものが残っているという性質のもののような感じでした。
ある意味でトラウマ的とでも言えるでしょうか。
現地で嫌だったことを素直に感じずに蓋をしてしまったことがあったのかもしれません。
思い返せばそれも仕方のないことだと思います。
そしてそのまま美化されかけているような可能性がありそうでした。
そんなわけで、マダガスカルと中央アジアの間で、もしかしたら嫌だと感じている要素が似ているのかもしれないという結論にいたりました。
そんなわけで、ここではとにかく全てをリアルタイムに感じながら過ごすことに決めました。
そして、それを実践し始めると、当時は自動的に感じないようにしてしまっていたことがあったという事実が認識できました。
例えば、食事をしていて無感覚に陥りそうになる瞬間があることがとらえられたり、頭が痛いのを無視しそうになったり、埃っぽい中でも平気だと自分に言い聞かせるような力がかかったり、ということがありました。
これらは基本的に身体的な反応を無視してしまう性質のものでした。
こうやって以前は体に大きな負荷をかけてしまっていたのだということがわかりました。
面白いもので、この取り組みに慣れてきて、嫌だという反応を感じつつ楽しむことができるようになってくると、中央アジアの記憶は出てこなくなったのでした。
おそらく、そこまででないにしてもどこでもありうることなので、帰国後も引き続き注意しようと思いました。
谷 孝祐
2015.5.31 22:06