繰り返し表現への抑圧 | 3年前のしこうの楽しみ

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前回のこれから自然体で書くことを意識しようという内容のブログの日付が、なぜだか4月2日になっていました。
指摘されて気づいたのですが、もちろん正しくは配信された12日です。
すみません。

単純なミスといえばそれまでで注意すべきことであることは確かです。
ただ、何となくタイミングとしては面白いものだと感じました。
特に根拠はありませんが、ぼんやりとではありながらも、この発想の変化の起点がそのくらいだったように記憶しているためです。

そんなわけで、ミスといっても結果的に新しい立ち位置への認識を強めてくれたようでした。
その結果かどうかはわかりませんが、早速、今まで自然体で書くことを阻害してきた原因があぶり出されてきました。
それは、できる限り重複は避けようという意図でした。

例えば、同じ文面の中では同じ単語が重複されることを避けていたし、以前に配信した内容と同じ内容を書くことは禁じ手になっていたわけです。
つまり、できる限り新しいものを発信していくという性質のものになっていたのかもしれません。
しかし、これはある種のコントロールとも言えなくはないでしょう。

場合によっては、同じ言葉や内容が繰り返し出てくることの方が自然とも言えますし、人の会話を考えれば重複は当たり前のことです。
そんなことを考えていると、自然な繰り返しと不自然な繰り返しがあることが認識できました。
不自然な繰り返しとは、その情報に囚われているからこそ何度も出てくるものです。

自然な繰り返しとは、囚われていないからこそ結果的に何度も出てくるものです。
そして、今まではこの両者とも抑えていたのでしょう。
この繰り返しの性質を判断することはなかなか難しそうですが、まずはその両者とも許容することが出発点になりそうです。

また、不自然な繰り返しから自分の囚われがあぶり出されることも事実でしょう。
こう思うと、重複を避けることが内面的にどうでも良いことになりました。
そして、楽しんで書くという意識が少し強まったのでした。

谷 孝祐
2015.4.13 22:39