簿記の設問も右脳的な処理をしていることに気づいてから、自分はなぜそれができるのかという疑問が出てきました。
おそらく、普段行っている実際の仕事にまつわる会計においては、そういった感覚ではなく、頭を悩ませることもあるためでしょう。
そのギャップから違いが知りたくなったのかもしれません。
そこでは、費用にせよ売上にせよ、どのようにみなすかということが、重要なトピックになってくることがあります。
つまり、実態をどう会計という枠に矛盾なく当てはめるのかというところに、頭をひねる必要があるわけです。
それは、自分の活動を会計の概念からとらえなおすという、面白い作業でありつつも厄介な取り組みです。
ビジネスと会計の同一性を高めるためには、完全な税理士任せでは不可能な部分です。
もちろん、すべての側面において整理が終わればそれもなくなるわけですが、基準を確定するまでもう少しかかりそうです。
それに比べて、設問への回答は単純明快な範囲です。
会計の概念をそのまま扱えばよいだけで、実態との整合性を考える必要はありません。
しかし、そのように感じるということは、会計の概念が右脳的にとらえられているということを意味します。
誰しもがそういう状態かといえば、そうではないでしょう。
そこで、ふと思い出したことがありました。
15年前に簿記の勉強した時の方法が結果的に右脳処理のトレーニングになっていたようです。
大学の行き帰りの電車の中で、どこにも書かずにイメージの中で処理しながら行うのが通常でした。
つまり、イメージがノートで、そこに書き込んで計算も行っていたわけです。
この記憶が出てきて、納得がいきました。
考えなくてもわかるという感覚や顕在意識でとらえられないスピードで処理できる理由が説明できるわけです。
いわば、自転車に乗るようなものなわけです。
どんなものでも熟練すると考えなくても意識しなくてもできるようになるのは、処理プロセスが右脳的になるからなのかもしれません。
そうであるなら、新しい取り組みもその処理方法に早く移行できるように意識していくと、熟練が速くなる可能性がありそうです。
この考え方を取り入れていこうと思います。
谷 孝祐
2015.1.31 18:32