病院に行きました。
五ヶ月の検診の付き添いでした。
さすがにもう安定していて元気な様子でした。
エコーではよく動いているようでした。
順調なようでここまでくれば一安心なように思います。
数ヶ月前に調べてみて、流産の確率というものも案外高いことを知りました。
そんなわけで様子をみていたわけですが、お伝えできるタイミングがきたと判断しました。
我が家の一員がもうしばらくすると一人増えることになりそうです。
だからといって何ということもありませんが、ある意味で人生のステージが変わらざるをえなくなることは確かでしょう。
それも含めて今は静かに迎えいれる心持ちで日々を過ごしています。
そんなわけで親になるということはどういうことなのかを考えます。
子どものありのままの姿を認めるのであれば、自分もありのままの姿でいる必要があり、結果的に大きく在り方が変わることはないことでしょう。
ありのままで関わることがありのままでいることを許容するということであり、それはあえて意図的な変化を生み出そうとしないということでもあります。
いろいろ知識があると、とかくどうするのが最適であるかということに意識が向きがちで、先々のことを考えることが多くなりますが、それをあえてしないということです。
なぜなら、そうすることで現状を見る目を曇らせ、本当に必要なことを見落とす可能性を感じるからです。
事前に用意した先入観が重要なコミュニケーションにフィルターをかけてしまうのです。
予期できるものを予期しすぎずに、ただ信頼するというイメージです。
それは、答えを用意せずに、結果的に自然に生まれてくる変化を受け入れて対応していくということを意味するかもしれません。
夢も希望も期待も不用意には抱かず、諦めも絶望も不満も結果的に生まずに、フラットに接していければと思います。
一つの命に畏敬の念を持ち、その結果、一緒に成長を喜び、失敗を悲しみつつも糧に変えていくことができれば素敵でしょう。
そんな方向性へ自分も準備を進めていければと思います。
谷孝祐
2014.9.13 12:55