大切の意味するところ | 3年前のしこうの楽しみ

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大切にするとは本質的にはどういう概念なのでしょうか。
当たり前のように使っていますが、自分の中で明確化されていないことに気づいたので考えてみることにしました。
普段使っている意味からすると、丁寧に扱うとか重要だとみなすとか敬い感謝の念を持つとかという方向性が思い浮かびます。

そこから転じて、主観的な要素を除いてフラットにとらえようとするならば、十分に意識を向けているということになりそうです。
つまり、ものを大切にするということは、ものに十分な意識を向けているということができそうだということです。
しかし、ここで気になる部分が出てきました。

そもそも、なぜこのような漢字表記なのかということです。
この表記を「大きく切る」ととらえるなら、普段使っている意味と少し離れているようにも感じさせられます。
そこで語源を調べてみました。

大切は、「大いに切る」=「大いに迫る」という意味を漢字表記して音読みした和製漢語であるとのことでした。
そんなわけでもともとは「緊急をようするさま」の意味で使われていたようですが、そこから平安末期には「肝要なさま」、中世には「かけがいのないもの」から「心から愛する」の意味に発展していったようです。
この言葉の使い方の変遷はなかなか面白いように思います。

起源となった意味から言葉そのものが解放されて自由になっていくように感じられます。
そして、この範囲が大切にするという概念をあらわしているとも考えられるかもしれません。
つまり、緊急性という比較的主観から離れたところから心から愛するという非常に主観的なところまでが含まれるということです。

この範囲で様々な大切が存在するということになるでしょう。
そして、人や物などの何かを大切にする場合は比較的後者に近いように思います。
そうであるなら、心から大切にするのであれば、その対象に愛をもって接することが正しいことなのではないでしょうか。

そして、その在り方が対象を鏡として自分に戻ってきて、自己愛にもつながっていくのかもしれません。
その循環まで意味するとするのであれば、大切にするという概念はまさに大切なもの(正確には重要なもの)でしょう。

谷孝祐
2014.9.11 11:06