今この瞬間に目の前のことを見てみよう。
それは思ったよりも集中力が必要かもしれない。
思ったよりも見ることに注力する必要があるかもしれない。
それは見ているようでちゃんと見えていないことがあるからだ。
しかし見えていないことにはなかなか気づきにくい。
なぜなら無意識に自分はちゃんと見えていると思っているから。
無意識的に自分はわかっていると思ってしまっているから。
それは自然な心の働きのようなもの。
だから悪いことでも何でもない。
それで自分を責める必要もない。
だからこそ目の前のことは見ようとしないと見えてこない。
ちゃんと理解しようとしてやっと理解できるものだ。
例えば目の前のことをすぐに評価してしまう習慣があるとする。
するとそれは目の前のことを分かった気にさせてくれるだろう。
目の前に起きているこれは悪いことだと。
今起きているこれは良いことだと。
そうやって評価が先に起こると見えている感じがしやすい。
するときっと安心感が生まれてくるだろう。
あるいは分からないことへの不安を感じなくてすむだろう。
そのために人はとっさに評価してしまう習慣がつきやすい。
でもこれでは本当に目の前が見えているのとは少し違っている。
それはある種の反射や反応でもあるからだ。
もちろんそれが当たっていることもある。
それが正しいことも多いかもしれない。
だから反射や反応でいいとも言えなくはない。
けれど目の前が見えていないことには変わりない。
だから本当の意味では自己判断という座に座ることができない。
主体的に生きたければちゃんと目の前を見る努力が重要だろう。
谷孝祐
2014.4.14 20:29