好きなことの実体 | 3年前のしこうの楽しみ

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好きなことをするという方向へ向いていた意識も一段落したようです。
しかし、そこで一つの疑問が出てきました。
好きなこととは、そもそも一体何なのかということです。

これを考えたことがないことに気づきました。
本当に好きなこととまやかしの好きなこととか、感覚レヴェルでの好きなことや感情レヴェルでの好きなことや思考レヴェルでの好きなこととか、その性質を分けて考えることはありましたが、そもそも好きなこととは何かということを明確化できていないのです。
個人的には好きなことという表現を使った場合、本当に好きなことや感覚レヴェルでの好きなことを指していることがほとんどです。

しかし、好きなことが定義できていなければ、それらもいささか曖昧なものです。
では、好きなことの実体はどういうものなのでしょう。
あえて言い換えるなら魅かれていることとも表現できそうです。
本当に好きなことは本当に魅かれていること、感覚的に好きなことは感覚的に魅かれていること、ととらえても間違えなさそうです。

ただ、好きなことに比べると魅かれることの方が移ろいやすく、自分から距離があるような感じもします。
これは、好きなことの方が固定的で主観に近いであろうということを意味します。
つまり、魅かれることの中の継続的で主観に近いものが好きなことであると考えることもできそうだということです。

そのように考えると、対象の何に対して魅かれて好きと認識しているのかがとらえやすくなるように感じます。
対象に対してなぜ好きなのかということを明確にしようとする時、対象の何に魅かれているのかという部分に意識を向けるのです。
例えば、本を読むのが好きだとして、なぜ好きなのかという方向ではなく、本を読むことの何に魅かれているのかと探ってみるのです。

それは、新たな知識を得られる魅力かもしれないし、共感を感じられるという魅力かもしれないし、新たな発想への手がかりがとらえられる魅力かもしれないし、感情が揺さぶられる魅力かもしれないし、様々でしょう。
そうすることで、好きなことを窓口により自己理解が進むようにも思います。

谷 孝祐
2014.1.29 20:32