慣れていない参加者 | 3年前のしこうの楽しみ

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久々にセミナーに出席しました。
講師の話を聞きながら、自分がセミナーというものに対し、出席することよりも話し手となることの方が圧倒的に多いことに、ふと気づきました。
他の参加者と同じようにワークやシェアを行ったのは、何年ぶりかわかりません。

だからなのか、ちゃんとできるのか一抹の不安を感じるほどでした。
また、参加者としての立ち位置にほんの少しの居心地の悪さを感じていたことが知覚できました。

それは、違和感があるのかもしれないと思って、ちゃんとある場所を探らないと見えてこないくらいささやかなものでした。
今回は、講師の話に安定感や安心感があったためそこがとらえられたのかもしれません。
そして、その微妙な不一致感がなぜ生まれてくるのか興味が出てきました。

よくよく考えれば、人前に立って話す機会はセミナーで話すようになって始まったことではありません。
すでに小学生の時には、そういった機会が幾度となくあったのでした。
思えば、校庭で約800人の全校生徒の前で話すことが定期的にあったことは、今のベースとなっているように推測できます。

そのおかげなのか、人前で話をすることに緊張や抵抗を覚えたことはありませんでした。
それ以降、どの集団に属していても、人前で話をする機会のある立場を与えられていたように記憶しています。

つまり、参加者側のような立ち位置の方が経験が少なかったわけです。
もしかしたらほぼ学校の授業のみだったのかもしれません。
これは面白い発見だと思いました。

講師でいるよりも参加者でいる時の方が慣れてなかったわけで、それが結果的に参加者として自分らしくいることに対してストップをかける要素になっていることが分かりました。
どこか無意識的に、他の参加者の様子を見て参加者らしくしていなければならないと感じていたようです。
シェアをするのも、相手が違和感を覚えないように勝手に配慮していたようです。

これらは、前に立つ人へ迷惑をかけないための配慮でもありました。
それに気づき、参加者としても自分らしく在ることを決めることができたために不安も解消し、ありのままで参加者らしくシェアをすることができました。

谷 孝祐
2014.1.27 21:18