裏返された主観 | 3年前のしこうの楽しみ

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手間のかかる作業をそのデメリットから主観的に嫌いととらえていたわけですが、それを思い出したと共に、あることに気づきました。
もちろん理屈では理解していたことですが、より体感の持てた気づきでした。
それは、嫌いは好きの裏返しであるということです。
または、嫌いなものほど好きなものの最上級である可能性があるということです。

好きなことは、好きという主観を伴わずに自然にやってしまうこともあるでしょう。
それは、本人にとって当たり前のことですが、はたからみたら相当なエネルギーを注いでいる場合もあるかと思います。
このような状況では、本人の主観はそれをすることで失うものの方に目がいきやすくなってしまいます。

これは、放っておいてもやってしまうようなことを好きと認識するよりも先に、嫌いという認識が作られやすいことを意味します。
自分を振り返ると、個人的な主観としては、本を読むのも好きではないし、文章にして何かを表現することも好きではありませんし、まして人の原稿をチェックするなんて考えられないと思っている時期がありました。
やったこともないのに、編集者にはなりたくないという気持ちと、自分にはできないという想いから出版に従事する人への尊敬がありました。

そうは言っても、思い返せば幼少期に自作の物語を書いたことがあったり、高校時代には5人分くらい課題のレポートを請け負ったりしていました。
その時は、やらなければならないという主観で行っていたと記憶しています。
一年で300冊強の本を読んだ時も、主観的には必要だからというとらえ方をしていました。

どうやら、書というものの魔力に負けてしまうと、人生が破滅するというような感覚を持っていたようです。
これはいささか大袈裟な表現ではありますが、そういった方向性であったことは否めません。
おそらく仕事ややるべきことをそっちのけで、その世界に没頭してしまう危険性を感じていたのでしょう。

しかし、このように考えると、これらは本当に好きなことだということが理解できます。
主観を書き換え、この性質をより的確に生かしたいと思います。

谷 孝祐
2014.1.25 22:41