効率化の違い | 3年前のしこうの楽しみ

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様々な場面において、効率化が必要だったり重要視されることは多いかもしれません。
効率的であることが最重要の価値であるという人もいるでしょう。
確かに、時間という概念の中において最大限のパフォーマンスを上げようとするのであれば、効率の良さは必要なことのように思います。

自分自身を振り返ってみても、様々なことを効率的にこなせるようになったからこそ、 同時にいくつかのことを進められるようになったと考えられます。
そういう意味において、効率至上主義であったととらえることもできるでしょう。

しかし、あくまで効果や結果に対しての効率であり、無駄なことを極力しないという方法で突き詰めた効率でした。
なので、結果に対して無駄な効率化に興味はありませんでした。
そう思い返すと、一言で効率化と言っても目的によって具体的な方法が変わってくると思います。

利益を最大化するためなのか、自分らしく生きるためなのか、それとも健康のためなのか、 その目的によって何をすることが効率的であるかという問いに対する答えは自ずと異なります。
お金のために効率を突き詰めるなら目の前の仕事を行うけど、 好きなことをするために効率を突き詰めるなら目の前の仕事は行わないという選択になることもあるでしょう。

もし、目的なく効率を高めるのであれば、反応的に効率化することとなり軸が定まらないので、 それ自体が非効率なこととなってしまう可能性もあります。
自分の方向性が定まってこそ効率を高める意味があるように思います。
自分の中の重要な価値観が存在しているからこそ効率という概念も出現するではないでしょうか。

ところが、重要な価値観が定まらない状態において、非効率であるがゆえに自分の価値観が定まらないということもあります。
非効率であるがゆえに自分の周りで起こることに翻弄されて、自分が見えなくなってしまうのです。
目的が定まらないと意味のない効率化ですが、効率化しないと目的が見えてこないというジレンマの構造になってしまいます。

こういう時は、自分の目的を定めるために効率を高めていくことで打開されるように思います。

2013.12.30 18:05 谷孝祐