自己否定の生む囚われ | 3年前のしこうの楽しみ

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自己認識や自己評価の不一致は時として弊害をもたらします。
例えば、求められるレヴェルでできないものをできると認識したり、 比較的上手にできることをできないととらえたりということが考えられるでしょう。

できることをできないととらえることで、チャンスを失ったり得られるはずのものが得られなかったりするかもしれません。
できないものをできると認識することで、信頼を失ったり守られるはずのものが守られなかったりするかもしれません。

しかし、往々にしてこのようなことは起きるものです。
誰にでもあり得ることであり、もちろん許容範囲の不一致であれば問題も起きないでしょう。
実際、できないことをできると思い込もうとすることや、できることをとらえようとしない心の働きは存在します。

もし問題が起きるとすれば、それは不一致が大きすぎて是正を求めるためなのかもしれません。
そして、この不一致の原因は自己否定に端を発していることが多いように思います。

つまり、不一致を生み出す原因である自己否定が減少していかなければ、 ある不一致を改善できたとしてもまた不一致が発生する可能性が高いということです。
ところが、ここで起こる問題は自己否定を増加させる傾向があるように思います。

できないことをできると認識して失敗した場合、 できるはずのことをできない自分というように顕在意識的な自己否定が強まる可能性があります。

できることをできないととらえてやらなかった場合、 できないからチャレンジしない自分というように潜在意識的な自己否定が強まる可能性があります。

これらを繰り返すと、できるのかできないのか分からない混乱した状態になってしまいます。
自己認識の不一致が問題を起こすほどの自己否定がある場合、このようなジレンマにあることが考えられます。

このジレンマを抜けるには客観的に自分を見つめ認識を正していくことが正攻法でしょうが、 そもそもそれができないからジレンマに陥ったというジレンマもあるでしょう。

こうやってある人は自分自身を自分で囚われの身としてしまっているのかもしれません。
そして、この囚われは自分で解くことしかできないはずですが、誰かに救われることを願うのかもしれません。

このような場合、自分が自分を縛っていることを認識することやジレンマの存在を認めることが、状況打開の鍵となるでしょう。

2013.11.29 18:24 谷孝祐