流刑の地は豊かさに溢れている | 3年前のしこうの楽しみ

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食事をしている時に隠岐の島の話が出たことから、思考が展開しました。
話自体は隠岐の島が素晴らしいところだということでした。

隠岐といえば、過去においては流刑の地であったことを知る人も多く、暗い印象の人もいるようです。
しかし、実際に島流しにされたとしたら、無理して帰ろうと思わないくらい、美しい自然と美味しいものに囲まれた豊かな場所です。

自分自身も実際に足を運んだときに、イメージが逆転したのでした。
このことを思い出した時に、何となく地球もそのようなところなのかもしれないと感じました。

それは、宇宙における流刑の地であるということです。
どんな基準で流刑のようなものになるのかは分かりませんが、地球が隠岐の島のように豊かなところであることは確かです。

そして、こんなに美しく素晴らしい地球で、戦争や略奪、足の引っ張り合いや権力闘争など、この場所に不釣合いなことが起きることも、このように考えれば理解ができます。
もしかしたら、宇宙の秩序を乱す可能性がある存在が流されるのかもしれません。
そして、秩序と同調できるようになるまで、輪廻転生を繰り返すというシステムなのかもしれません。

そのように考えると、人は生まれながらに罪を背負っているという原罪の考え方にも納得がいきます。
世に中を見渡すと、案外、これは色々な事象に説明を与えてくれるコンセプトです。

もちろん、これは確実にそうであるということではなく、一つの仮説です。
しかし、自分の一番認めたくない部分を認められると自己否定から自己肯定に転じられるように、自分がいる場所を流刑の地ととらえてみれば、降りかかる災難や向き合いたくない現実も受け入れることがしやすくなり、この場所にいる自分を肯定できるようになるかもしれません。

自分がいる場所の最低と思われる位置づけを認めることは、自分のありのままを認めることに発展します。
なんでここにいなければならないかという思いがなくなり、逃げる心が向き合う心へと転換し、グラウンディングが強くなるかもしれません。

もちろん、このコンセプトで周りの人を否定するようになったら逆効果なので、注意は必要でしょう。
あくまで、自己肯定の材料になり得るという意味で、とらえていただければと思います。

2013.9.23 17:35 谷孝祐