覚醒の第九歩 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

できるのであれば、選択には仕上げが必要です。
この仕上げまで行って、選択がちゃんと完了すると言えるかもしれません。

その仕上げとは、選択によって生まれるデメリットをメリットもしくは何でもないものに変換するという作業です。
これを行うことで、選択したことを100%肯定できる状態に持っていきます。
その状態が作れると、選択したことを行動に移すことに対する抵抗が減り、決めたけど行動できないということがなくなります。

もちろん、この状態でも抵抗が0になるわけではありませんが、行動を止める要因にはならないでしょう。
この抵抗は自然な範囲内なので、つまり空気抵抗とか摩擦抵抗とかと似た類のものなので、動こうとする力を完全に止めるほど大きくはありません。

逆に言うなら、行動を止めてしまうほどの抵抗は、自分が作り出している、または選択の仕上げができていないために起こるともとらえられます。
つまり、選択に対して迷いや疑いなどの、逆方向の力がかかったままの状態にあるということです。

そして、これを知覚していなければ知覚してないほど、ブレーキをかけながら自転車を必死にこいで前に進もうとする状況に近づきます。

自分自身で、止めようとする力と進もうとする力を同時に生み出し、相殺し、力が強い方に従うという形になり、消耗しやすくなってしまいます。
選択の仕上げができていれば、このように無駄な力を生み出す必要がないため、自分の力を選択した進みたい方向に素直に使えるため、スムーズに選択したことの結果を得ることができます。

たとえ選択が間違っていたとしても、余力があるので、再選択することも可能でしょう。
そういった意味で、この選択の仕上げは、ブレーキをはずす作業ととらえることもできるでしょう。

一見、面倒ですが、トータルで考えると一番楽で安全で効率が良い方法になります。
なぜなら、自転車をこいだ力がそのまま推進力になるだけではなく、ブレーキをかけることも自由にできるようになるためです。

もし、ブレーキを完全にかけたまま進んでいるとしたら、それ以上にブレーキをかけることは不可能です。
そんな状況で進んでいては、なかなか自分で曲がることも止まることも難しいように思います。
そのように考えると、自分という乗り物に乗る上で、この選択の仕上げは重要な技術の一つと言えなくはないでしょうか。

2013.3.30 20:48 谷孝祐