自分の世界 | 3年前のしこうの楽しみ

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浄水器から流れる小さな世界が耳に入ってきました。
いつも聞いているはずですが、この時はなんだか印象に残り、自分の世界という言葉が思い浮かびました。

全く別のものだし歌詞とずれるかもしれませんが、世界が小さくて狭いのであれば、自分の世界はどれだけちっぽけなものなのだろうかと思います。
それなのに、その世界にしがみついて、他の世界を認めないという立ち位置になってしまうのが人間の性なのでしょうか。

もしかしたら、自分の小ささを認めたくないがために、他を侵食して大きく見せようと、そのために無意識に自分とは異なる世界を悪者にしてしまうのかもしれません。
逆に、侵食されることをおそれて、侵略者となりうる対象を否定することで自分を守ろうとすることもあるでしょう。
しかし、この自分の世界を誇示しようとしている限り、他の世界と混ざることができないというのも事実でしょう。

混ざることができないというのは、ちゃんと理解することができず、自分の世界を広げることができないことを意味します。
広げる必要があるのかどうかという問題はあるかもしれませんが、狭い世界を生きていると時代錯誤に陥ったり、自分の外の世界への理解不足が不利益を生み出すことはあるでしょう。
そういう意味で、実態社会と同調した自分の世界であれば問題ないと考えることもできるかもしれません。

もし、それができるのであれば、究極の幸せである可能性も感じます。
しかし、外の世界を知らずして同調するのは、ルールを知らずしてルールを守るくらい、なかなか至難の技ではないでしょうか。
そのように考えると、まずは自分の世界を広げていくことに注力し、小さな世界と自分の世界を同一視できるようになった上で、自分の世界を再確立するのが適切なように思います。
もしくは、その繰り返しをしていくものなのかもしれません。

だからといってどちらにせよ、むやみやたらに行うのではなく、状況に応じてバランスをとる必要があるでしょう。
それは、自分の世界を広げるために迎合しすぎて飲み込まれることも、自分の世界を確立するために排他的になることも、不適切であるということです。
そんなバランスがとれる人が多くなればなるほど、歌詞の通りの小さな世界が実現されるように思うのでした。

2013.3.19 21:03 谷孝祐