経済的自由とは | 3年前のしこうの楽しみ

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朝起きると、ロバート・キヨサキさんのクワドラントという本が目に入った。
かなり前に読んだ記憶のある本である。
そのサブタイトルに「経済的自由を手に入れ、、、」と書いてあった。

、、、の部分は幸せになるとかその類の言葉だったと思うけれど、流行っているだけの理由で読んだのでそこまでは目に入っていなかった。
改めて目に入って、経済的自由って何だろうという疑問が湧いてきた。

一般的には、お金のことを気にせずに使っても問題のない状態ということだろうか。
しかし、それは非常に不安定な概念なように思う。
おそらく、ここでいう問題ないという状態には、現実的に問題ないという意味ももちろん、不安が出ないというニュアンスが強いのかもしれない。

そのように考えると、経済的自由とは持っている金額の問題ではないという要素もあるだろう。
それは、年収200万円で経済的自由を得ている人もいれば、年収1億円であっても経済的自由を得られない人がいることを意味する。
これは極端な例だけれど、欲しいものや必要なものが極端に少なく、かつそれで満足できるのであれば、自由にお金を使ったとしてもそこまでお金が必要ないかもしれないし、そもそも満足は金額に比例しないという可能性もある。

逆に、どんなにお金があっても満足しなければ、もっともっとと求めることで、不足感の中で多額のお金を必要としてしまうように思う。
それは、年収が少なくても満足していて安心感がある場合もあれば、年収が多くても満足が得られず不安の中にいる場合もあるということだ。

結局のところ、経済的自由を得たいという願望は、安心感の中に生きたいという希望なのかもしれない。
なのであれば、経済的自由は精神的自由の一形態もしくは一つの要素と考えることもできる。
しかし、年収の問題でないとするのであれば、経済的自由という概念自体が派生概念であり幻想のようにも思う。

結果的に経済的自由を手に入れるためには、まず精神の自由を得ている必要があるということになる。
それは、お金に縛られないという精神の自由である。
そのためには、本当に自分とって必要なもの、本当に満足の得られるものを見極められる力を身につけることが先決であるように思う。

2012.12.19 17:17 谷孝祐