文明の行方 | 3年前のしこうの楽しみ

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今までの歴史を紐解けば、文明というものは滅びゆく運命にあるように思います。
それは、どれだけ高度な技術を持っているかに関わらず、場合によっては高度な技術を持っていたがゆえに、滅びた文明の多さから推測できることです。
もしかしたら、全ての文明は滅びてきたのかもしれません。

多くの場合は何者かの侵略によって、時に内部崩壊のような形で、ところによっては忽然と消えるということでそれはなされてきたようです。
では、なぜそのような運命にあるのでしょうか。

おそらく、時代の流れとの関連性にあるのではないかと思います。
もし人智を超えたところに時代という実体が存在するのなら、これにそぐわなくなった時に文明は抹消されざるをえないのかもしれません。
もちろんかなりの許容度はあり、臨界点を超えて時代とのひずみが大きくなった時点での話です。

この見地は、スペインに滅ぼされた文明をはじめとするラテンアメリカの遺跡をまわっていて出てきたものです。
なぜ、このような高度な文明が滅びる運命にあったのか、これが必然であった、つまり必要なことであったという立ち位置で考えた時に気づいたことです。

それは、ラテンアメリカの古代文明の完成度が高かったために文化のアップデートがされないまま古代を続けてしまっていたところ、ヨーロッパではすでに中世の終わりを迎え、地球全体としての文化のアンバランスが限界に達していたという考察です。
このアンバランスが地球人類が同じ星に住む民としてつながっていくことを阻むのであれば、時代の進展を阻むことになります。
シャーマニズム偏重の文化は科学の発生と進展を阻んでしまう可能性があります。

実際に、このあとにヨーロッパでの時代は近代へと移行していっているようにも見えます。
細かい部分を研究したわけではないので、一つの意見でしかありませんが、そのように考えると整合性が取れるように思います。

もしこれが正しいのであれば、先々、地球文明が宇宙の一員としてつながっていくことを阻み、宇宙の時代の進展を阻害するのであれば、滅びざるをえないということも考えられます。
逆を言えば、地球とか宇宙とかの別はあるにせよ、時代に即した形で文明が変容していけば、文明は滅びえないとも推測することができます。

高度な文明が完成されてもそれに甘んじることなく高みを目指すのであればそれは可能だと思います。
それは、人間の持つエゴの影響を減らすからなのでしょう。
そんな人が増えていく社会が時代に求められているのかもしれません。

2012.12.11 11:45 谷孝祐