帰属欲求と帰属意識 | 3年前のしこうの楽しみ

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個人的には帰属欲求というものをあまり感じたことがない。
少なくとも記憶の中では、この欲求に基づいて行動したという経験はないように思う。

もちろん、何にも帰属していなかったわけではなく、むしろ何らかの集団に自然に帰属していたから満たされていて欲求として出てこなかったのかもしれない。
だからそこにエネルギーをかけることに魅力を感じなかったとも言える。
しかし、幼児期において一人で遊ぶことが多く、それが好きだったことから、そもそもその欲求は少なかったとも考えられる。

そういった経緯もあり、帰属欲求に対して掘り下げて考える機会がなかった。
しかし、周囲を見渡せばそれは明らかに存在しているようで、であるならばそれはなぜ必要なのかという疑問が出てきた。
もちろん個人的に必要性を感じていないわけで、不要とくくってしまうことは簡単なことだけれど、存在がある以上、何らかの必要があって与えられているのだと考える。

これは時に本人や社会にとって弊害になっているように見えるのだけれど、あくまでそれは求めすぎてしまった結果であって、適正であるならばどのような意味合いがあるのだろうか。
シンプルに考えるなら、安全や安心をさらに強化するためのものととらえることができるかもしれない。
潜在的には、帰属する集団が自分を守ってくれているように感じるのだろう。

また、帰属する集団から自己価値を導き出しているという可能性もある。
この場合は、承認欲求に近いニュアンスのように思う。
でも、本質的には何らかのものとつながっているということを感じさせ、学習させるためなのかもしれない。

帰属欲求を超えた帰属意識は、自我を超えた集団への奉仕という効果をもたらすことがある。
この集団という概念を人類とか地球とか宇宙といったより大きなものに置き換えていくことで、分離感を脱し、真の帰属へと昇華し、帰属欲求から全体への帰属意識、すなわち俗にいうワンネスのようなものへと変容していくのかもしれない。
そういった意味では、帰属欲求はそのための初歩的な段階として、必要不可欠なものととらえることができる。

まずは十分に満たすことと、その逆にそこにある虚構を理解することの両方が重要だろう。
つまり、欲求を認め、従いながら、かつそこにある現実を見極めることとなる。
このバランスがうまく取れたときに、帰属欲求の支配から解放され帰属意識が生まれるのではないだろうか。

2012.12.8 09:13 谷孝祐