被害者意識と加害者意識 | 3年前のしこうの楽しみ

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ふと、被害者意識という言葉はよく使われているのに、その逆であろう加害者意識という言葉は比較するとあまり使わないように思いました。

被害者意識とは、極端に言うと何でも被害者の立場を取り、自分以外の何かに責任を求めるというものかと思います。
そういった意味では依存の一形態なのかもしれません。

加害者意識が真逆であるとするならば、極端に言うと何でも加害者の立場を取り、自分自身に責任を求めるということになるでしょうか。
そういった意味で、過度な責任感なのかもしれません。

このように考えると、おそらく積極的に加害者の立場を取りたい人は少ないため、加害者意識という言葉があまり使われないように思います。
もし使うとすれば、被害者意識の反対ではなく、加害してしまったことに対する負い目のようなものを指す可能性もあります。
そもそも加害者と被害者というのはどういったものでしょうか。

シンプルに考えるのであれば、害というものを中心に介した反対のものととらえられるかと思います。
害を加える側と害を被る側、つまり害を与える側と害を受ける側ということになります。
であるならば、そもそも害というものが何なのかということが重要な要素となるでしょう。

起きた事象が害でないのであれば、加害者も被害者も生まれません。
害が存在しないのであれば、どんなことが起きても加害も被害もありえないことになります。
では、どこに存在しているのでしょうか。

それは、一見、外的な現象の中にあるように見えますが、正しくはその現象に関わる人の心の中に存在しているのだと思います。
これは、もし泥棒に入られて全財産失ったとしても、失った本人が害に感じなければ、害は存在しないということになります。

つまり、この場合、もし害が存在するのであれば、失った本人の心の中に害を被ったという意識や気持ちが出てくるかどうかによって決まるということになります。
つまり、あくまで被害者の心の中にのみ害が存在し、その害を与えた者が加害者と呼ばれるに過ぎません。

この仮説は極端な話かもしれませんが、世の中を取り巻く被害を減らすためには、一人一人が自身の心に潜む被害者意識をなくしていくことが重要なように思います。
逆に、それだけ世の中には被害者意識が蔓延していると考えることもできるでしょう。
まずは、自分自身の被害者意識を見つめ改善したいものです。

2012.11.30 05:19 谷孝祐