征服の歴史 | 3年前のしこうの楽しみ

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インカ帝国の遺跡にふれ、スペインによる征服がどれだけ徹底したものだったのかを実感します。
征服自体が良いこととは思えませんが、その徹底ぶりは逆に感心するほどです。

その一端として、南米の多くの国の公用語がスペイン語であることがあげられると思います。
インカ文明の上に上塗りされたキリスト教文化というバランスが、何とも不思議で、今までにない印象を与えます。

多くの場合、征服されたとしても土着の文化はある程度残っていくことがほとんどのように感じていましたが、完全に蓋をされたような感じがしました。
それは、言語と宗教の統制という形でなされたのかとは思いますが、それ以上の何かがあったように思います。

全く共通性のない文化であるからこそ、徹底的に破壊していく必要があったのかもしれません。
それぐらい驚異的な存在に見えたということも考えられます。

ただ、どことなく時代そのものから抹殺されたという印象もありました。
そのための徹底的な征服だったのではないかとも思います。
そのような見地からみると、征服された側にもそれだけの理由があったのかもしれません。

それが何だったのか。
文字を持たなかったとされる文明なので、はっきりとわかることはないかもしれませんが、確実に言えることは強大な帝国であったということです。
強大であるがゆえに、内部での何らかのほころびや鬱積したものがあったのかもしれません。

少なくとも遺跡を見ている限り、強大な帝国を作りあげた精神文化との乖離があったのではないかと感じます。
そう考えると、シンプルに、ベースとなる精神文化が消えゆくとともに帝国自体も消えゆく運命にあり、その方法が征服されることだったと考えることもできます。

方法は違えど、そのようなプロセスで消えていった文明は数多くあるように思います。
大きくとらえるなら、それが文化や文明の世代交代であり、歴史の進展であり、人類に求められる変化なのかもしれません。

もし、根底の精神文化から現実が乖離した場合に文明が崩壊するというのが基本的なメカニズムだとするならば、現代社会を作り上げた根本にある精神文化に目を向け、光を当てることが必要な時代なのかもしれません。

2012.11.19 00:40 谷孝祐