ヨーロッパとのお別れの日。
全く意識したことがなかったのですが、気がつけば今年は一年の六分の一くらいヨーロッパに滞在していたようです。
一番変わったことは、ヨーロッパは思っていた以上に狭いという認識が生まれたことです。
狭いというのは、第一に実際の面積のことで、アメリカ合衆国やロシアはもとより、おそらく中国と同じくらいか少し小さいくらいかと思います。
もちろん調べたわけではないので正確ではありませんが、地図を眺めているとそのくらいな気がします。
その中に、様々な人種や感性、価値観の人たちが暮らしていて面白いところだと思います。
しかし、その根底にはキリスト教世界の価値観が共通してあるので、思った程は違わないといった印象もあります。
そういった意味では、日本人というようにひとくくりにしていますが、ヨーロッパ人と表現する以上にいろんな人がいるかもしれないと思います。
事実かどうかはさておき、実際に世界で最も混血が進んでいる国であるという話もあながち間違っていないように思います。
それは、イギリス人のような価値観の人もいれば、フランス人のような価値観の人もいれば、ロシア人のような価値観の人もいれば、というように様々な価値観の人がいることからも感じられます。
そして面白いのは価値観が違う日本人同士は出会うことが少なく、その集団での価値観が日本の価値観だと思い込んでいることです。
世界中のどこに行っても日本人がいるといっても過言でないのは、そういったことに起因するのかもしれません。
人は、基本的に自分と価値観が一致するところに惹かれるものです。
小さな飛行機に乗って行ったアラン諸島のイニシュモア島にもトモコさんという日本人がいてゲール語が堪能だということを、案内してくれた馬車のおじさんが言っていました。
おそらくそういったことはたくさんあるように思います。
また、日本はそういった異なる人々が狭い国土暮らしていることが実感できました。
世界でも有数の人口密度の高い国ではないかと思います。
少なくともヨーロッパは郊外に行けばまだまだ土地の余裕があり、首都圏のような通勤距離は必要ないように思います。
ちょっとしたカントリーライフも車で一時間もあれば可能です。
日本だったら北海道でなければ不可能かと思うような空間の広がりの中で生活できるように思います。
そういう意味では、異なる価値観や世界観の日本人同士が出会い、お互いを認め、和解が進むということは、国家としても大きな力になり、見えないレベルでの世界の統合に影響があるように思います。
EUが人類和合の見えるレベルでの取り組みであるなら、日本という国はその裏の取り組みを課せられた国とみることもできるのではないでしょうか。
2012.11.16 13:09 谷孝祐