げんごさいこう | 3年前のしこうの楽しみ

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ヨーロッパの都市にいると、様々な国の言語を耳にしたり、表記を見たりということが多いように思います。
特に主要な観光スポットでは、日本語を含めたいくつもの言語のパンフレットやオーディオガイドが準備されていることは、どちらかというと当たり前の感じです。
そのようなことからも、外国人が日本に旅行に来ることのハードルが高いことを推測できます。

そんな中、ロンドンのイタリアンレストランで言葉がごちゃまぜに使われているのを体験したのをきっかけに、あることを思い出しました。
挨拶はやちょっとした声かけはイタリア語か英語、それも決まりはあまりなさそうで、ワインの銘柄はきれいな発音のフランス語といった感じでした。

アランデュカスプロデュースの美味しいイタリアンをいただきながら、観念が揺さぶられる楽しい体験でした。
それが、良い刺激になったのか、そういえば各言語に固有の優勢な周波数帯域(パスバンド)というものがあったことに意識が向きました。

ヨーロッパの各国言語はさておき、重要なのは日本語と英語、とりわけイギリス英語との違いです。
日本語は、世界の言語の中で一番といっても良いくらい低い周波数帯域の言葉です。
一方、イギリス英語はおそらく一番高い周波数帯域の言葉です。

つまり、この二つの言語のパスバンドは、世界で最も離れているといっても良いかもしれなく、実際共通する帯域がありません。
ちなみに米語は、もっと低い領域だったと思いますが、日本語よりは明らかに高かったと思います。
そして、母語のパスバンド以外の音は、聞こえない、もしくは聞こえても言葉として認識できないという理由から、この違いは日本人が英語を苦手な理由として伝えられることが多いように思います。

しかし、この違いが影響を与えるものは、文化や習慣、思考パターン、固有の観念体型など様々な要素があるのではないでしょうか。
実際に、日本語は自分自身の本音や内面の動きと同調しやすく、高度な内的精神活動に向いているように思います。
己を知ることで日本語をマスターできるのではないかと思うくらいです。

これは、ある意味で日本語のマスターが難しいことを意味します。
飛躍的にはなりますが、その国の言語で布教したと言われるフランシスコザビエルが、悪魔の言語と評したとされているように、世界でもとりわけ難しい言語の一つのようです。

一方で、イギリス英語は、表面的なやりとりや、物事を分かりやすく説明するのに向いているように思います。
自分と切り離されたところで扱える言語といった印象です。
形式美に基づく高度な論理性を持つことができ、それが本質を内在してくるように思います。

どちらが重要ということではなく、どちらも必要な要素であり、両方が扱える感性や耳を持つことは非常に魅力的です。
それは自分自身の世界観を広げ、より高次のパラレル感覚へと導いてくれるように思います。
そこに情報をより安定的に厳密に扱える可能性を感じます。
そんな夢を見るのでした。

2012.11.15 18:25 谷孝祐