何が手放されたのか | 3年前のしこうの楽しみ

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情報過多なオペラの余韻の中で眠りについたわけですが、どうやら反応が減ったようです。
というよりなくなったといった方が正しい感じすらします。
もちろん、オペラの効果かどうかは分かりませんが、複合的な原因の一つとなっていたのかもしれません。

朝起きて、ミラノを発つためにパッキングを始めました。
オペラに出かける前に、洗濯をして干してあったものがあったので、畳もうとしました。
その中にわりとお気に入りの真っ白のコットンの長ズボンがありました。
支柱のようなところに、汚れがつかないか確認して干してあったのですが、汚れというよりカシスのような色が触れていた部分全てについてしまいました。
もし落ちなかったら、はけないような状態です。
一瞬焦りましたが、同時に全く反応していない自分に気づきました。
焦っているのが頭だけ、つまり観念的に焦っているだけでした。

一般的には冷静と表現するところかと思いますが、冷静というよりは本当に何とも思っていない感じです。
冷静になるには冷静になるべき状況が存在しますが、どうやらそういった状況と感じていないということです。
頭だけが焦ると、非常に自分自身の観念が滑稽に思えてきました。
同時に頭は、ここまで反応がなくて良いのかと疑問を投げかけてきました。
良いも悪いも、ないものをわざわざ作り出さなくても良いと思うので、ひとまずは良いということにしました。

ということで、色のついた白いズボンはそのまましまわれて運ばれました。
次のホテルに到着して、真っ先に洗いましたが落ちる気配はなく、少しつけ置きしているところです。
でも、魔法でも使わなければ落ちないようにも思います。

それでも、ただ洗濯する時と心の流れは変わらず、やはり反応がないのです。
さすがに、もう観念も反応しません。
人は、こうやってあるがままという状態に近づいていくのでしょうか。

それにしても何が手放されたのか、見当もつきません。
そういえば、安心とか不安という概念がゆらいで、統合されてきているような気はします。
ひとまず、特に評価せずその感覚を味わいたいと思います。

2012.10.25 06:22 谷孝祐