動くものを食べること | 3年前のしこうの楽しみ

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夕食に岩魚の活け作りが出てきました。
初めての体験でした。

活け作りなので当然ですが、出される直前まで生きていたようで、まだ元気に動いていました。
目はこっちを見てるのやら見ていないのやら良くわかりませんでしたが、意識はまだハッキリしている様子でした。

といってもそのように見えるというだけで、実際にはわかりません。
岩魚を活け作りで食べるという発想や知識が全くなかったので、不意討ちのようで、だからか余計にリアルに感じました。
人によっては非常に抵抗感があるかもしれません。

しかし、食べると非常に美味しく、嫌味が全くありませんでした。
海の魚とは異なるしっかりした食感とたんぱくな味わいが、例えて説明するのが難しいくらい個性的な感覚を生み出していました。
個性的といっても強い感じではなく、没個性でありながら特別といったような個性です。

食べている間、岩魚は自分が食べられていることを認識しているようにも見えました。
その様子を見ながら味わうと、食事を頂くという意味がより深くわかったような気がしました。
残酷なように思う人もいるかもしれませんが、そうやって人は生きています。

それは菜食主義だとしてもです。
それを認めると生きるということにより真摯に向き合わされるように思います。
そんな機会がなかなかない現代人は生と遠ざかって生きているのかもしれません。

自分が食べているものがどうやって自分のところにやってきているのか、知識レベルよりも深く知ることは、思った以上に重要なことのように感じます。

2012.9.29 07:59 谷孝祐