ものさし | 3年前のしこうの楽しみ

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滅多にないことですが、目を留めてしまう言葉に出会いました。
カレンダーに書いてあった「常識は未来の物差しにならない」という言葉です。

もちろん今という社会を生きる時、常識は人間関係を築く潤滑油になってくれることでしょう。
しかし、常識は今までに形成されたものであって必ずしも未来永劫というわけではないと思います。

今の非常識が将来の常識になる可能性もあります。
もちろんここで指す非常識とは、基本的には反社会的なものではなく、イノベーションとしての非常識です。
歴史を紐解けば、時代時代において常識が変わっていくことが分かるでしょう。

この常識の変化は、緩やかに水面下で進み、臨界点に達すると社会に表出するように思います。
とはいえ、案外常識と思っていることが、そうでもないことは良くあります。

ある社会集団における常識が外では非常識だったり、日本の常識は世界の非常識と言われたり、宗教間の軋轢も常識と常識のぶつかり合いと考えられるように思います。
究極的には、常識は個人の中に存在しているのであって、それが似たような環境に置かれた人達に共通しているだけと考えることもできます。

そしてその共通性が、帰属欲求を満たし安心を与えるのかもしれません。
人間の欲求が高次に移行すれば、常識という言葉が死語になっていくの可能性もあると思います。
そうなって初めて、個性を尊重する社会が形成されることでしょう。
そして、また新たな常識が形成されるのでしょうか。

まずは、自分と違うものを認めてみることから始めましょう。

2012.9.15 10:27 谷孝祐