教会での勝手な推測 | 3年前のしこうの楽しみ

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パリに戻る途中にアミアンという所にある大聖堂に行きました。
どうやらフランス最大の教会建築ということで、確かに圧倒的な大きさがありました。

外から見てももちろんですが、中に入ると天井部までの高さがその大きさを実感させてくれます。
建造物というよりも、何もないところからある一つの空間を切り取るための壁や天井があり、その中に必要なものを配置したような印象です。

また、城塞に天井もつけた、広場に壁と天井をつけた、という感じもします。
そこで思ったのは、なぜここまで大きさを求めたのだろうかということです。

表面には、作るのに気が遠くなるほどの数の彫刻もあります。
一般的な見地に立てば、権力の象徴であり、多くの人をひきつけるための道具なのかもしれません。

ただ、何となくその目的のためであれば、ここまで大きくする必要はないんじゃないかと思いました。
そこで、思考は止まって数時間、そのことは忘れていました。
そして、夜中になり、ふっとその理由がわいてきました。

あまりにも勝手な推測ですが、もしかしたら、実際にはそこにはない教会を有力な司教か誰か聖職者が何らかのかたちで見て、それを具現化したのではないかと。
そう考えるとその大きさも、それだけで納得できたのでした。

実際に、建築とか街づくりとか、そういったものはイメージを形にした、つまりみえたものを作っただけという要素も多分にあるのだろうと感じた体験でした。
それは建築などに限らず、どんなものでも共通するかもしれません。

2012.6.27 17:38 谷孝祐