少し前に「もっと自分を慈しむ」を書きました。

 

が、日々仕事をしていると疲れてしまい

自分にあれがしてあげたいなぁ

これもしてあげたいなぁとは思うものの

眠気には勝てません(笑)

 

そういう時は潔く早々寝ます。

(いつもちょっとだけ抵抗するけど)

 

 

だって、何が一番大事かって言ったら

【感情】だから。

 

自分の感情以外に大事なものなんてない。

今まで自分の感情を無視してきたから

ずっと人生がしあわせじゃなかった。

ずっとモヤモヤしてた。

 

ちょっと話は変わって

感情って2種類あると思う。

 

①思考がその状況に対して無意識に反応する

②身体が反応して感情となって伝わる。

 

①思考の反応の場合は

今までの常識やこうでなければいけないに

囚われていることが多い。

 

自分の考えと言うよりは

刷り込みされた感じ。

 

だから、いつもモヤモヤした気持ちがあったり

罪悪感があったり。

本当は何かが違うと分かっているから。

 

そうしなければいけない、と言うことに

従わなかった場合、自分を否定したり

蔑んだりしする、無意識に。

 

②身体の反応は、欲求と言う形で伝わって

【しなければならない】ではなくて【したい】。

寝たい、食べたい、海に行きたい…

それが満たされた時、「あーしあわせって」

無意識に口から出てるんじゃないかな?

 

身体からの感情を

思考が忙しいから、めんどくさいからと

ずっと無視し続けてるから

ずっとしあわせだなんて思えない。

 

「したい」と言う身体からの感情は

結局【今】にいることに繋がるんだと思う。

 

思考は過去にも未来にも行けるけど

身体は今にしかいられない。

 

そして思考は学ぶことが出来るから

自分いとって良いものも悪いものもダウンロードする。

 

自分とは、人生とはと自分に問いかけ

意識的に生きるとなった時に

思考を再プログラムすることで

今の自分にとって

本当に必要なものやことを取捨選択し

欲求に従って行動することが

しあわせを感じる、自分を生きるって

ことなんじゃないかと思う。

 

自分を慈しむことの一番の慈しむ方法は

結局【感情・欲求】を大事にするだと。

 

こうしたいと言う欲求はもちろん

ネガティブな感情が出た時は

なぜそう思うのか?そう感じるのか?

を深堀することで

本当はこうしたかったとか

こうだったらいいのに、と

ネガティブな感情の裏側=本当の欲求を

知ることが出来る。

 

人生はしあわせであることがデフォルトだと

聞いたとき、ちょっと信じられなかったけど

今ならよく分かる。

 

そして、『しあわせになる』と言う言葉遣いは

正しくなくて

『しあわせである』が正しい言葉遣いだと思う。

 

何かを手に入れたからしあわせになるんじゃなくて

何もなくてもしあわせである。

そして、しあわせであるということを

日々思い出して感じて生きていく。

 

しあわせとは?の定義っていろいろあるけど

言葉なんていらなくない?

それは考えるものでもなく定義することでもなく

感じる、思い出すこと。

そうしたら言葉にできなくても

絶対にこれがしあわせだって分かると思う。

 

つらつらと書いていたら

なかなか大作になってしまった(笑)

 

思考人間だった私が

(昔、上司から頭でっかちと言われた人)

こんな風に思えるようになったなんて

しあわせでしかない。

 

思考だけでは生きるのが辛くなる

感情・直感だけでは現実的ではない。

 

やっぱり大事なのはバランス

思考と直感のバランス

すなわち、それはしあわせを思い出すことハート