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昨日はお彼岸でお墓参り行ってきたんです。
帰りにオット母のところ寄って。
98歳ですよ。
いやぁ〜
元気💪
とは言え、やっぱりちょっと記憶が曖昧になってきました。
新しいことはちょっと覚えられず、
何度も聞くんですね。
なので何度も同じように
今聞かれたかのように返事します。
オットは慣れたもので、口頭で伝え、電話でも伝えて、紙にも書く。
認知症とまではいかないけど、
そうやって緩くなっていくことを
本人も周りもゆっくり受け入れていってて
日々穏やかなお顔になっていく母を見てると
何故だか今までちゃんと言えてなかったことの御礼を言ってる自分がいて。
色々本当にお世話になってて
ヨメという立場でなく
家族、という括りでちゃんと受け入れてくれてた母の懐の広さは、結婚して30年ぐらいになるけど
今もまだずっと心の底から感謝しています。
結婚当初からオットは自営業者で、私も手伝っていたけど、その時から
自分だけでなく周りがみんな良くなるように、と近江商人の心得みたいなことを教えてくれてたのは実はオットではなく、母でした。
よく考えたらオット父は大工職人だったけど商売が下手で、早くから現役を辞め、会社に就職するまでは、一家の生計は母のパートで賄っていたそうです。
持ち前の明るさと物事を悪いように考えない、改善すべき所はどんどんアイディアを出していく、仕事仲間からも慕われ、仕事先ではいつも中心にいたそうです。
頭の回転が早く、特に数字に強くて、学生の頃は早稲田に行けるとまで言われて受験勉強をしていたほどの才女。
戦争でそれもできなくなったものの、女学校卒業と共に郵便局に勤め、いわゆるキャリアウーマンの走りのような人でした。
65ぐらいまでずっと仕事し続けて、その間にお習字の先生やったり、趣味の詩吟を嗜んだり
元気なころは俳句教室にも通って、先生から褒められたり雑誌にも俳句が掲載されたりしました。
岡山の田舎で育った母は、本当に田舎の人で、私の実家の母とは真逆だけど、形式ばらないざっくばらんで、困ったことも笑いに変える朗らかな母は、本当に太陽のような人。
オットにとって、大切な母であり、そんな母のもとに毎日通って介助するオットもまた、今までできなかった親孝行を今する事ができて本望なのかな、と思います。
昨日帰りがけに、オットが母に健康食品を飲ませてる現場を見てしまい、思わずハッとしてその場から動けなくなりました。
小さな丸い背中の母の手に、両手でこぼさないように小さなカプセルをひとつづつ渡すオット。
「飲んどかなあかんで」と言いながら。
言われるまま手渡されたカプセルを飲む母。
何気ない情景が胸を打ち、スマホ持ってたらよかった!と後悔しました(笑)
オットと母は今まであまりここまで関わっていず、母が骨折した時もあまり関わらなかったんですよね。
でも今、ようやく親子として関われて、最初はいろいろあったみたいだけど、本当に良い関係になったんだなぁ...と感動してしまいました。
結婚って、他人の一生をずっと見てる作業、と思っています。
ご縁があって夫婦になり、それぞれの家族とも関わっていく。
でもやっぱり子どもができると、オットって私の中ではやっぱり他人なんですよね。
なのでオットと母の関係に、私はどうしても第三者の目で見てる自分がいるんですよ。
そうやって30年見てきて、オットの病気の原因とか、母の本当の気持ちとかいろいろ見てきて、面白いなぁって、思ってたりして。
そんな結婚生活のラスト近く(まだ続きますけど)になって、そんな二人の究極の親子の愛のようなものを見せて頂いて、すごく嬉しかったんです。
こっちまで幸せな気持ちになるというか。
ああ、こうやって人は、先に行く人を見送っていくんだな、って。
真綿で包むようにして
両手で母の手を包み込む夫は、今までにはいなかった優しい夫の姿でした。
天の国はきっとこういう人のためにあるんだと、思いました。
どんな美辞麗句を並べても叶わない、美しい光景を見れたこと、この家族と関われてよかったなぁと思います。
まだまだ介護は続きます。
私もお弁当作りで少しでも手助けできたら...と思っています。