秀吉が、天下人になる転機の、山崎の戦いの日さ“さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

(続)さきちゃんの独り言

さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、まあ良いさ、朝からお空には、青空が広がっちゃっているさ、でも、お昼前頃から、お空は、まあまあの雲で、覆われちゃったさ、・・そんで、午後のおやつ頃には、チョコの小雨さ、・・その後は、急速に、雲も無くなり、青空が広がっちゃったさ、・・変なお天気さ、・・今日も風ないさ、穏やかさ、・・そんで、今朝の室温は、25度と、温かいんさ、・・そんで、日中も、お陽様は、殆ど、出てくれないんだけんどさ、まあまあ温かいさ。

 そういえば今日は、大好きな大阪と京都の境の、・・大好きな京都の山崎で起きた、山崎の戦いの日さ、・・1582年のことさ、442年前のことさ、・・つい昨日のことのようさ、・・そんで、山崎の合戦とは、・・6月2日の本能寺の変で、大好きな織田信長が、真夜中に、重臣の大好きな明智光秀に、襲われちゃって、自害を余儀なくさ、・・その時に、大好きな織田家後継者筆頭の、頼もしい、大好きなご長男の信忠も、大好きな本能寺から1kmほどの所の、宿泊先の、大好きな妙覚寺から、この事件を知り、お隣の、大好きな二条御新造に移って抗戦したが、抗しきれず、・・まもなく火を放って自刃されちゃったさ、残念さ、・・そんで、大好きな秀吉の方は、6月3には、大好きな京都の本能寺から、西方220kmも離れた、・・大好きな岡山県の高松城攻めの陣中で、本能寺での事変の報を、いち早く知ることが出来たんさ、・・昔も、今も、正確な情報を一早く、手に入れた方が、・・その後の展開に有利さ・・、・・そんで、大好きな岡山県岡山の備中国高松城攻めを中断、和解に持ち込み、あっという間に大軍を引き返しさ、・・これを、大好きな備中大返し(びっちゅうおおがえし)と言うんさ・・、そんで、急いで戻ってきた、大好きな秀吉軍と、大好きな光秀軍とが、大好きな大阪府と、大好きな京都府の境の、大好きな山崎で、戦うことになっちゃったさ、・・大好きな光秀は、大好きな秀吉が、こんなに早く、大軍勢を立て直して、戻ってくるとは思わなかったんさ、・・それに、大義名分もない、大好きな光秀方に積極的に加担する、有力諸将は少なく、考えるゆとりもなく、大好きな秀吉が、予想より早く戻ってきたことと、大好きな秀吉のお得意の工作が、功を効かしちゃって、・・大方は、大好きな秀吉方に、加担されちゃったさ、・・そんで山崎での、大好きな秀吉、光秀の直接対決さ、・・6月12日昼頃には、大好きな小泉川を挟んで、大好きな両軍が対峙しちゃったさ、・・前哨戦の小競り合いはあったさ、・・そんで13日午後のおやつ時過ぎから戦闘開始さ、そんで、日没前には、大好きな秀吉軍が優勢さ、・・大好きな光秀軍は総崩れ、逃亡が相次ぎさ、・・そんで、大好きな光秀は、大好きな居城の琵琶湖畔の坂本城へ逃げ帰る途中、・・13日深夜さ、大好きな京都市伏見の小栗栖(おぐるす)の藪(明智藪)で、落ち武者狩りの百姓に、竹槍で刺され、・・ご自害されちゃったさ、・・戦闘ではなく、逃避行中のことさ、・・余りにも、あっけなく、・・残念なことさ、悔しいことさ、・・大好きな山崎から直線距離で13kmのところだったさ、・・そんで、大好きな光秀の居城坂本城は、あと17kmなのにさ、・・残念さ、・・そんで、大好きな坂本城は、すぐに、大好きな秀吉軍に囲まれ、14日夜大好きな明智一族は、自刃され落城されちゃったさ、残念さ、涙が出るさ、・・そんなんで、大好きな光秀の三日天下と言われちゃっているんさ、・・そんで、たらればならもしいふさ、・・大好きな秀吉の大返しが、・・通常通り・・、一週間もかかっておれば、・・大好きな光秀が、天下人だったかもさ・・。

  それにしちゃっても、大好きな秀吉は、またとない大きなチャンスを、手中に入れちゃったさ、・・大好きな秀吉でなければ、先ずは、出来ない才能さ、決断力さたっ持ち主持ち主さ、・・この後のことさ、1853年大好きな柴田勝家を、・・賤ヶ岳の戦で破り、その後の余勢で、大好きな福井北ノ庄城を、攻め滅ぼし、大好きな正室の大好きな信長の妹のお市の方とともに、自害に追い込んじゃったさ、・・次いで、主君筋の大好きな織田信雄(のぶかつ)を、配下にさ、・・その他、有力武将を下し、天下を手中にしちゃったさ、・・それにしちゃっても、大好きな秀吉は、1585年には、大好きな関白に、1586年には、大好きな太政大臣に任命され、大好きな豊臣政権を、打ち立てたんさ・・、その後も、大好きな九州、関東、東北を平定した秀吉は、1590年、天下統一を達成し、天下人となられたんさ、・・うれしいさ、・・それにしちゃっても、大好きな秀吉は、1591年天下を統一後、晩節を汚し続けちゃったさ、・・例えば、1597年のことさ、・・大好きな長崎で、大好きな日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)を、・・大好きな豊臣秀吉の命令で、磔の刑に処されちゃったさ、・・1592年~1593年の、無鉄砲な、大好きなお隣のお国の、大好きな朝鮮への出兵の文禄・慶長の役さ、・・1595年の大好きな豊臣秀次の切腹事件さ、・・その他にも、・・1583年には、大好きな信長の三男織田信孝(おだのぶたか)を、大好きな知多(ちた)の野間大坊(のまだいぼう)で、自刃させちゃったさ、・・お母様の、大好きな主君信長の側室の大好きな坂氏(さかし)を磔刑さ、・・1591年には、大好きな千利休を切腹させちゃったさ・・、ご自分の濃い血族、大好きな織田家御主君筋、外国もさ、・・余人では絶対出来ないことさ、・・ご自分は、主殺しの大好きな明智光秀を、討ったのにさ、・・ご自分が、主筋を残虐に殺害するとは、・・濃い主筋の血筋一族を葬り去るとは・・、・・親の因果が、子に報い・・が無ければ良いが・・、・・そんで、さきちゃん、早速、大好きな滋賀県大津市の坂本城へ行っちゃって、大好きな琵琶湖対岸の三上山標高432mを望み、大好きな坂本城北方4kmの、大好きな西教寺(さいきょうじ)の明智光秀一族のお墓の前では、たっぷりお涙さ、・・それにしちゃっても、大好きな坂本の蓬餅(よもぎもち)美味しすぎさ。

 

 

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■袖ケ浦市、君津市の理容
  ⇒ アノンのホームページ