梅雨の季節に思い出されるのは、岐阜海津の治水神社のことさ“さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

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さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気はまあ・・良いさ、朝からお空は、まあまあの雲で、覆われちゃっているさ、・・何時雨が降っちゃっても、おかしく無いお天気さ、・・そんで、午前のおやつ前には、・・ホンチョッピの小雨が、・・降っちゃったか、降っちゃったか、お車のフロント硝子だけが、知っているくらいの、ホンチョッピの小雨がポツンさ、そんでも、午後のおやつ頃には、ホンチョコ、青空も覗いちゃったさ、・・今日も風ないさ、穏やかさ、・・そんで、今朝の室温は、24度と、チョコ温かいんさ、・・そんで、日中は、お陽様も見られないんで、余り気温は上がらないんだけんどさ、・・チョコ暖かい止まりさ。

 それにしちゃっても、この頃、雨が多くなる時期さ、・・数年に一度は、・・全国どこかで、・・大雨、・・大洪水、・・予想も出来ないところで、河川決壊も、起きちゃう時期なんさ、・・そんで、この時期思い出されちゃったのは、・・大好きな岐阜県海津(かいづ)市海津町油島(あぶらじま)にある、大好きな治水神社( ちすいじんじゃ )のことさ、・・そんで、先ずは、大好きな治水神社への行き方さ、・・大好きな、・・その手は桑名の焼き蛤の、・・大好きな三重県の桑名の、・・大好きな国道1号線の、大好きな長良川(ながらがわ)と、揖斐川(いびがわ)をまたぐ、・・大好きな伊勢大橋の中央付近から、・・大好きな愛知県道106号のまあまあ真っ直ぐで、大好きな信号も極めて少ない、・・快適立派な、大好きな長良川と、揖斐川の間の堤防道路を北上するんさ、・・大好きな道路から見られる、大好きな農家さんのお家の屋根下には、大好きな小舟がぶら下がっているのも、見られるさ・・、・・片側一車線なんだけんどさ、まあまあまっすぐで、信号も少なくって、走りやすいんさ、・・そんでも、脇見をしちゃって、大好きな道路の堤防から、転げ落ちないようにして、欲しいさ、・・昔っから、大好きな木曽三川(きそさんせん)は、大暴れ3兄弟川さ、・・大好きな農家さんは、昔っから水利、治水、洪水対策に、躍起だったさ、・・でも海抜も低いままで、・・例えば、大好きな伊勢湾から38km遡っちゃった、大好きな墨俣城(すのまたじょう)前の、大好きな長良川の川面の海抜は、6mと、低いんさ、・・昔は、・・大好きな江戸時代までは、大好きな三川の下流は、・・川の境目がはっきりしなくって、中州も多くって、洪水時は氾濫、大暴れだったんさ、・・そんなんで、大好きな木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の、分流大工事が行われちゃったんさ、うれしいさ、・・そんで、大好きな木曽三川分流大工事のいきさつさ、・・大好きな江戸幕府のご命令で、・・大好きな外様大名の薩摩藩が、一大工事を、させられることになっちゃったんさ、・・外様大名の悲哀さ、・・そんで、大好きな分流堤には、大好きな九州から取り寄せた、大好きな日向松(ひゅうがまつ)約千本の松の木が、植えられちゃったんさ、・・今も、大好きな千本松原が現存されているんさ・・、大いに役立ったということさ、・・大好きな油島千本松締切堤(あぶらじませんぼんまつしめきりづつみ)とも言うんさ、・・大好きな揖斐川と、長良川の間の、・・大好きな三重県道・岐阜県道106号桑名海津線を、北上しちゃって、大好きな国営木曽三川公園に向かっていくと、・・まあまあまっすぐな道路で、道路の左手の大好きな揖斐川沿いには、・・大好きな背の高い松並木があるんさ、・・いつもドライブが楽しくなる松並木さ、・・大きな立派な松並木の途中には、・・大好きな宝暦治水碑があるんさ、・・ここは、大好きな愛知県、三重県、岐阜県の三県境辺りなんさ、・・大好きな宝暦治水碑は、大好きな三重県から岐阜県に入ったところにあるんさ、・・大好きな三重県側に、チョコの駐車場も有るんで、お車から降りちゃって、・・うれしくって、頭が自然に垂れるんさ、・・そんで、大好きな治水工事のことさ、・・大好きな徳川将軍の江戸時代のことさ、・・大好きな宝暦年間の、1753年12月~1755年5月に、・・大好きな江戸幕府のご命令で、・・大好きな薩摩藩が、治水工事をされちゃったんさ、・・大きな三つの川の土堤を築いちゃって、分けるという、大変な難工事だったさ、・・そんでも、大好きな薩摩藩は、一生懸命頑張っちゃってくれちゃったさ、うれしいさ、・・しかしながら、大好きな薩摩藩士51名がお亡くなりさ、・・ご自害、ご切腹などもさ、・・悲惨さ、涙が出るさ、・・更に33名が、可哀想に、病死されちゃったんさ、・・費用を抑えるために、お食事も節約さ、栄養失調で体力が失われ、その上病気に罹患されたんさ、・・とっても、お気の毒で、悲惨な事件だったんさ、・・涙涙さ、・・その上、工事完了後には、・・大好きな薩摩藩総指揮者の、大好きなご家老の平田靱負(ひらたゆきえ)は、全責任を負ってご切腹さ、・・残念さ、無念さ、・・涙ポロりさ、・・そんなんで、・・大好きな九州薩摩藩は、莫大な出費で苦しんじゃったさ、・・大好きな薩摩藩が要した費用は、約40万両で、現在の金額にして500億円以上というんさ、・・そんで、たとえば、大好きな奄美群島では、大好きなサトウキビ栽培の強制など、大好きな奄美群島民にも、多大な負荷を要求されちゃったんで、・・黒糖地獄と呼ばれんさ・・、大好きな薩摩藩には、過酷な人的、経済的苦しみさ、・・そんなんで、大好きな千本松原の南端の桑名長島側には、大好きな薩摩藩士の慰霊と、宝暦治水の偉業を記念しちゃった、大好きな宝暦治水碑があるんさ、・・大好きな江戸幕府のご命令とはいえ、他藩の為の、大好きな治水工事に、お金、お命をかけちゃって、頑張っちゃってくれちゃった、大好きな薩摩藩士、薩摩に、深く頭が下がる思いさ、・・大きな犠牲と、お金を掛けて、・・大工事を完遂してくれちゃったさ、・・うれしいさ、・・その後、・・この大好きな宝暦治水後も、改修が加えられ、大好きな木曽三川下流域の、洪水による人的被害、住宅、田畑被害などの被害は激減さ、・・治水効果は、大好きな木曽三川の下流地域300か村にも及ぶというんさ、・・嬉しいさ、・・1900年の分流工事完成時には、大好きな宝暦治水碑を建立、1938年には、大好きな平田靱負他85名の薩摩藩士殉職者を、・・大好きな祭神として顕彰するために、・・大好きな治水神社を建立さ、嬉しいさ、恩恵を受けちゃった広大な地域の住民が、如何に感謝しちゃったかが、・・後世も、永遠に引き継がれ、語り継がれるんさ、・・本当にうれしいさ、ありがたいことさ、・・そんなんで、大好きな木曽三川方面や、大好きな国営木曽三川公園 木曽三川公園センターを訪れちゃった時は、・・絶対訪れたいところなんさ、・・大好きな治水神社も参拝のお客様で、いつも大変賑わっちゃっているさ、・・うれしいさ、・・そんで、大好きな木曽三川のお土産は、・・大好きな天然よもぎを使った大好きな草餅美味しすぎさ。

 

 

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■袖ケ浦市、君津市の理容
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