豊臣秀吉は、京都伏見に、伏見城を建築、得意の絶頂さ“さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

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さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、良いさ、朝からお空には青空が広がっちゃっているさ、でも、薄雲もチョコ浮かんじゃっているさ、・・今日は風チョコ以上にあるさ、・・でも、穏やかな・・・うちさ、・・そんで、今朝の室温は、19度と、まあまあさ、日中は、お陽様も出てくれちゃったんで、風はチョコ寒いんだけんどさ、チョコ温かくなっちゃったさ、・・昨日よりも、温かいさ。

 そういえば今日は、大好きな京都の秀吉の伏見城の天守閣が、完成しちゃった日さ、うれしいさ、・・1597年のことさ、427年前のことさ、・・つい昨日のことのようさ、・・そんで、・・大好きな京都伏見は、大好きな京都御所の南方10kmにあり、大好きな奈良街道が通る、古来要衝の地さ、・・そんで、大好きな秀吉は、・・以前に、大好きな伏見の南方4kmにある、大好きな巨椋池(おぐらいけ)海抜7m辺りに、堤防を作ちゃって、大好きな大和街道、宇治街道を整備され、大好きな伏見は、更に交通便利になっちゃったんさ、・・それにしちゃっても、大好きな伏見城は、地震やら、戦争やら、波乱万丈の歴史城さ、・・1591年に、大好きな伏見城の原形の、大好きな秀吉隠居屋敷は、大好きな伏見の丘陵地高台海抜32m付近に、建てられたのが始まりで、・・大好きな甥の秀次に、大好きな関白の位と、大好きな京都における政庁聚楽第を譲っちゃったんさ、そん時は、それが豊臣政権を承継させるのには、一番良いと思っちゃったんさ、・・それが、1593年に、お目出度く、大好きな秀頼がご誕生しちゃったんさ、・・ありゃありゃ、・・計画が狂っちゃったさ、・・我が子は、可愛いすぎさ、・・大好きな秀吉の頭ん中の歯車が狂い始めさ、・・お目出度い事なのにさ、・・でも、結果的には、大好きな豊臣家崩壊終焉の始まりさ・・、・・可哀想なのは、・・生長後の秀頼さ、・・22年後の、1615年のことさ・・・・、・・そんで、大好きな指月伏見城築城は、1594年から本格的に始まりさ、・・そんで、1595年には、ありえない、可哀そうすぎる、涙なくして語れない、・・甥秀次切腹事件が起きちゃったさ、・・・大好きな京都三条瑞泉寺では、大粒すぎる涙があふれ出るさ・・、・・こんなことが、・・大好きな人間様、ワンワンの世界で、起きるとは、・・絶対考えられない、有り得ない、信じられない事件さ・・・・、・・そんで、大好きな秀次に譲っちゃった、大好きな聚楽第は、徹底的に破却されちゃって、大好きな建物部材は、大好きな伏見城へ移築されたんさ、・・そんで、大好きな伏見城の方は、周りには、大好きな城下町も整備されちゃったさ、・・そんで、翌1596年には、慶長伏見地震が発生しちゃって、・・大好きな天守の上二層が倒壊さ、・・後では、何とでも言えることなんだけんどさ、・・不吉な前触れさ、・・そんで、大好きな秀吉は、大好きな指月伏見城から北東1kmの高台の木幡山標高88mに、チョコの住まい・・と言っちゃっても、立派なご隠居住まいを造り、避難生活されちゃったんさ、・・そんで大急ぎで、北東1km先の海抜89m辺りに、・・大好きな木幡山(こはたやま)伏見城を築城され、・・1597年には天守閣も完成さ、うれしいさ、・・そんで、大好きな秀吉は、移り住んじゃったさ、良かったさ、・・そんで、残念なことに、大好きな築城翌年の1598年に、大好きな秀吉は、お亡くなりになられちゃったさ、・・その後は、大好きな五大老筆頭の徳川家康が、入城されちゃったんさ、・・そんで、1600年の関ヶ原の戦いの時は、大好きな家康家臣の、大好きな鳥居元忠が、護っていたんだけんどさ、・・大好きな石田三成の西軍に攻められちゃって、あえなく落城さ、建物の大半を焼失さ、・・そんで、1602年頃、大好きな家康によって再建されちゃったんさ、・・その後の事さ、各藩への一国一城令で、1619年に廃城されちゃったんさ、・・波瀾万丈の歴史城さ・・、・・惜しいことさ、残念さ、・・このとき建物や部材は、大好きな二条城、淀城、福山城などに移築されちゃったんさ、・・そんで、大好きな伏見城の跡地には、大好きな桃の木が植えられちゃったんで、・・大好きな桃山さ、・・そんなんで、大好きな伏見桃山城と、呼ばれるようになっちゃったんさ、・・その後、本丸跡などには、畏れ多くも大好きな明治天皇の桃山陵が築かれちゃったんさ、・・畏れ多くも大好きな伏見桃山陵、伏見桃山東陵さ、・・そんで、1964年には、大好きな伏見桃山城キャッスルランドが建設され、遊園地内には、大好きな洛中洛外図に描かれちゃっている、大好きな伏見城を参考にしちゃって、大好きな5重6階の大天守高さ50mと、3重4階の小天守高さ30m、櫓門などの、模擬天守が建てられちゃったんさ、うれしいさ、・・でも、大好きな入場者数が減って、・・2003年閉園しちゃったんさ、残念さ、・・やっぱ大好きな伏見城は、希有な歴史さ・・、・・波乱の歴史城さ、・・それにしちゃっても、・・大好きな伏見桃山城からの眺望は、とっても良かったんさ、北方には、大好きな京都市街さ、西方には、大好きな長岡京さ、南方には大好きな巨大な池の巨椋池(おぐらいけ)と、・・とっても眺めが良いところさ、・・さきちゃんも、大好きな天守閣で、・・今は無き大好きな巨椋の池を想像しながら、眺めちゃったさ・・、・・そんなんで、今は、大好きな巨椋池は、無いんだけんどさ、・・大大大・・大昔のことさ、・・大好きな万葉集の一首には、・・巨椋の入江とよむなり射目人(いめひと)の伏見が田居(たい)に雁(かり)わたるらし・・、・・が思い浮かぶんさ・・、うれしいさ。

 それにしちゃっても、・・大好きな秀吉は、大好きな巨椋池のほんの一分を埋め立て、大好きな宇治川の流れを、堤防で変え、洪水対策をして、大好きな大阪との街道を整備されたんさ、・・人々のために、善政も多いのにさ、・・もし、たら、れば、なら、いふさ・・、大好きな秀吉が、大好きな秀次に、大好きな我が子秀頼が生長するまで、政権を委ね、大好きな豊臣家を、存続温存していたならば、・・大好きな秀吉の三悪行の、二十六聖人磔の刑、朝鮮への文禄・慶長の役、豊臣秀次の切腹事件、など、多くの悪行が無ければ、・・今や、大好きな伏見桃山は、大好きな西の月光さ、・・連日大賑わいの筈なのにさ、・・残念な事さ・・、・・そんでも、・・大好きな明治のお御代に、大好きな秀吉は、大好きな京都の阿弥陀ヶ峰に、大好きな秀吉の墓所が改葬されされ、立派なお墓で残ることが出来ちゃったさ、・・うれしいさ、・・大好きな秀吉の悪行が、無ければ、・・こちらも、本物の西の月光だったのにさ、・・悔しいさ。

・・それにしちゃっても、大好きな京都の定番の生八ッ橋美味しすぎさ。

 

 

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  ⇒ シンタロー農場のホームページ


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■袖ケ浦市、君津市の理容
  ⇒ アノンのホームページ