さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。
こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、良いさ、朝からお空には青空が広がっちゃっているさ、でも、薄雲も、チョコ浮かんじゃっているさ、・・今日も風無いさ穏やかさ、・・そんで、今朝の室温は、14度と、チョコ寒いんさ、・・日中は、お陽様燦々、風少々、寒い風ではないんで、寒さも和らぎ、温かいの一歩手前さ。
そういえば今日は、大好きな松尾芭蕉が、大好きな弟子の曾良(そら)とともに、大好きな奥の細道六百里の旅へ出発しちゃった日さ、・・1689年のことさ、335年前のことさ、つい昨日のことのようさ、・・そんで、大好きな芭蕉と言っちゃったら、・・大好きな江戸時代前期の俳諧師さ、・・大好きな三重県伊賀市のお生まれさ、・・大好きな三重県伊賀と言っちゃったら、・・大好きな伊賀上野城と、城域での、大好きな伊賀忍者特殊軍団の阿修羅による忍術実演ショー、くノ一忍者ショーで有名さ、・・お目々に入れちゃったら痛すぎる、おチビちゃんも大喜びのところさ、・・また、昔は、有名だった、・・大好きな荒木又右衛門の伊賀上野の鍵屋の辻の決闘さ・・、・・大好きな曾我兄弟の仇討ち、大好きな赤穂浪士の討ち入り、・・と、並ぶ、三大仇討の一つさ・・、・・絶対訪れたいさ、・・そんで、大好きな芭蕉と言えば、大好きな芭蕉45才の時、1689年に、大好きな弟子の河合曾良を伴い、・・大好きな江戸~東北~北陸~美濃国大垣までを、旅行されちゃったんさ、・・そんで、大好きな紀行文の、”おくのほそ道”を、書かれちゃったんさ、・・嬉しいさ、・・そんで、・・大好きな奥の細道さ、・・閑かさや岩にしみ入る蝉の声の大好きな山寺さ、・・尿前(しとまえ)の関では、・・蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もとさ、・・大好きな新潟県出雲崎では、・・荒海や佐渡によこたふ天の河さ・・、さきちゃん、どこの地も皆絶対行きたいんだけんどさ、・・多すぎてさ、・・体が人しかない、さきちゃん、訪れるところも限られるんさ、・・そう言えば、大好きな芭蕉の句碑は全国に、3千基ほどあると言うんさ、・・大好きな芭蕉も、訪れていないところも多いんさ。・・そんで、その後、1694年のことさ、大好きな芭蕉は、・・行かざるを得ない旅の途中の、大好きな大阪で、体調を崩され、・・旅に病んで夢は枯野をかけ廻る・・の句を遺し、50才でお亡くなりになられたんさ、・・そんで、ご遺骸は、大好きな江戸でも、大好きな故郷の伊賀上野でもなく、大好きな滋賀県大津市の、大好きな義仲寺に運ばれたんさ、・・さきちゃんビックリさ・・、・・大好きな芭蕉翁は、ご遺言で、大好きな義仲のおそばに寄り添いたいとのことさ、大好きな義仲が、大好きなんさ、そんで、・・木曽殿と背中合わせの寒さかな:句碑は、大好きな芭蕉様のの弟子の伊勢の又玄(ゆうげん)作さ、・・そんで、ここで、・・大好きな木曽義仲と言っちゃったら・・、・・1180年台のことさ、源平合戦の頃さ、・・大好きな木曽義仲は、一時征東大将軍になられちゃたんだけんどさ、大好きな源頼朝配下の、大好きな源範頼、義経の軍勢に、大好きな京都の宇治の、宇治川の戦いで大負けしちゃって、・・逃走中の滋賀県大津市の粟津(あわづ)で、敢え無い最後を遂げられたんさ、・・そんで、大好きな義仲寺に、永久のお眠りなんさ、・・大好きな義仲が、こよなく愛しちゃった、大好きな巴御前(ともえごぜん)と一緒にお休みさ、・・うれしいさ、・・そんで、大好きな義仲寺は、・・大好きな滋賀県琵琶湖の近江大橋の北西1.5kmのところにあるんさ、・・さきちゃんも、絶対訪れたいところさ、・・こじんまりしちゃったお寺様さ、・・そんでも、・・大好きな芭蕉、義仲の資料がいっぱいさ・・、・・絶対訪れたいさ・・、・・そんで、大好きな大津市のお土産は、音に聞こえた大好きな三井の晩鐘を、大好きな武蔵坊弁慶が、大好きな比叡山までひきずった怪力にちなんで造られた、大好きな由緒ある大津名物三井寺力餅美味し過ぎさ。
●安全安心美味しいホウレンソウ、小松菜、美味しいお米は
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●安全安心美味しいネギ、大根は
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●美味しいトウモロコシ、粘り強い山芋、安全安心美味しいあっさり飽きないお米、ドラゴンフルーツは
■袖ケ浦市、君津市の理容
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