平安期に太政大臣に上り詰めた平清盛が亡くなられた日さ “さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

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さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、悪いさ、朝から小雨が降り続きさ、でも、お昼頃には、雨が止んじゃったものの、お空には、まあまあの雲で、覆われちゃっているさ、今朝の室温は、14度と、チョコ寒いんさ、・・で、日中は、お陽様も見られないんで、午前中は、冷たい小雨も降っちゃったんで、気温が、上がんないさ、・・昨日よりも大分寒いんさ。

 そういえば、今日は、大好きな平清盛が、お亡くなりになられちゃった日さ、・・63才の若さだったさ、1181年のことさ、843年前のことさ、・・つい昨日のことのようさ、・・そんで、大好きな清盛と言っちゃったら、大好きな平氏の棟梁だったさ、・・大好きな平安時代末期の保元の乱1156年と、平治の乱1159年では、大勝ちしちゃったさ、・・そんで、大好きな武士として、初めて大好きな太政大臣にまで上り詰めちゃったさ、うれしいさ、・・そんで、武力で強いだけでなく、商才も身につけておられちゃったんさ、・・そんなんで、大好きな日宋貿易でも、大儲けされちゃったんさ、・・そんなんで、日本は、経済的にも潤い、大好きな宋銭を日本国内で流通させ、通貨経済の基礎をも築きあげ、・・日本で初の、大好きな武家政権である平氏政権を築いちゃったんさ、うれしいさ、・・そんで、当初の頃は、大好きな清盛は、・・畏れ多くも大好きな後白河法皇と、御仲も良かったんさ、うれしいさ、・・1161年頃には、大好きな清盛の財力で、畏れ多くも大好きな後白河法皇の院御所である、大好きな法住寺(ほうじゅうじ)殿を、造営されちゃったさ、・・そんで、大好きな法住寺殿蓮華王院(れんげおういん)本堂三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)も造営されたんさ、うれしいさ、・・1168年には、大好きな広島宮島の厳島神社の海上社殿をご造営さ、・・そんでも、この頃から、大好きな清盛の勢いにも陰りの兆しかもさ、・・1168年、大好きな清盛は、病に倒られご出家されちゃったんさ、・・大好きな清盛も、病には勝てなかったさ、残念さ、・・そんで、病からちょこ回復しちゃったら、大好きな兵庫県神戸の福原(ふくはら)に、大好きな別荘の雪見御所(ゆきみのごしょ)を造営し、お住まいになられたんさ、・・この頃、大好きな平大納言時忠卿(へいだいなごん:平時忠)は、“平氏にあらずんば人にあらず”と、おっしゃられちゃったさ、・・1172年には、大好きな徳子が、畏れ多くも大好きな後白河法皇のご猶子となられて、畏れ多くも大好きな高倉天皇の中宮となられ、1178年には、畏れ多くも大好きな安徳天皇がお生まれ、畏れ多くも大好きな国母になられちゃったさ、うれしいさ、・・この頃が、大好きな平家の権力の頂点だったさ、・・でも、畏れ多くも大好きな後白河法皇の寵妃で、畏れ多くも大好きな高倉天皇の国母で、大好きな平大納言、大好きな清盛ご継室の二位尼時子の異母妹の、大好きな建春門院(けんしゅんもんいん)が亡くなられちゃった頃から、・・大好きな平家にも暗雲さ、・・1177年には、鹿ケ谷の陰謀が発覚さ、・・1179年には、大好きな摂関家に嫁いでおられた、大好きな娘の平盛子(たいらのもりこ)をお失いさ、・・大好きな盛子の荘園は、畏れ多くも大好きな後白河法皇に取り上げられちゃったさ、・・そんで、怒った大好きな平清盛は、・・畏れ多くも大好きな後白河院政を停止させちゃったさ、・・有り得ないことさ、傲慢だったさ、決定的な仲違いさ、・・1180年には、畏れ多くも大好きな後白河天皇の第三皇子の以仁王(もちひとおう)が、大好きな平氏追討の令旨を、全国の源氏に発せられ、・・大好きな平氏打倒の挙兵、武装蜂起を促しさ、・・そんで、大好きな頼朝は、大好きな以仁王の令旨に呼応し、・・1180年に、大好きな関東で、蜂起、勢力を拡大し続けさ、・・この時、畏れ多くも大好きな後白河法皇は53才、清盛64才、頼朝は33才だったさ、・・大好きな清盛は、まだまだ強力な権力、財力をもったままなのに、・・体も弱まり、大好きなご長男の宗盛に、後事を託し、大いなる不安を持ちながら、亡くなられたんさ、残念さ、・・そんで、5年後、1185年には壇ノ浦で、大好きな平家は、大負けさ、・・・祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし、猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ・・・、・・そんで、さきちゃん、早速、大好きな京都嵯峨の祇王寺(ぎおうじ)さ、大好きな祇王寺境内には、大好きな清盛の供養塔があるんさ、・・大好きな清盛は、一時、大好きな祇王をご寵愛さ、その後、寵愛が薄れて、追い出されちゃったんさ、・・ところで、大好きな祇王は、故郷の大好きな野洲(やす)では、大好きな村人のために、大好きな清盛の支援を得て、大好きな野洲川から引水し、この辺り一帯の田畑を潤す灌漑水路の、大好きな祇王井川(ぎおういがわ)を作られちゃったんさ、うれしいさ、・・でも、東方4kmには、平家終焉の地:大好きな清盛三男の平宗盛、息子清宗(きよむね)のお墓もあるんさ、・・こちらは、・・涙が出るさ・・、そんなんで、大好きな祇王は、大好きな故郷の野洲では、地元には親しまれ愛されておられるんさ、大好きな祇王小学校の校歌にもなっているんさ、・・うれしいさ、大好きな平家の善政が残っているんさ、感謝さ、・・このことは大好きな平家物語にも、吾妻鏡にも書かれちゃっていることさ、書かれちゃっていないこと、・・さきちゃん家に伝わるワンワン鑑を見ちゃって欲しいさ、・・それにしちゃっても、大好きな京都のお土産の、大好きな生やつはし美味しすぎさ。

 

 

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■袖ケ浦市、君津市の理容
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