1976年(40歳)の頃

 

4年間

名古屋ショールームに

(社内ではテクサカ)

勤務して

大阪のステレオ事業部に

戻ることに なりました

 

その転勤の際 朝会で

ショールーム

25名の女子社員を代表して

林 良枝さんが 

全員の前で

送別のメッセージを

心を込めて

読んでくれました

 

そのとき 嬉しくて 

涙が とまりませんでした

 

メッセージは 

私の人生の宝物で 

現在も 大切に保管しています

 

メッセージ全文を

みんなの前で 涙ぐみながら

心を込めて読み上げてくれました

(以下 テクサカとは

テクニサカエの略で

名古屋ショールームを

意味します)

 

●全文です

 

「いつか 

こんな日が訪れるのではないか

という 不安をいだいた事も

ありましたが

まさか こんなにも早く 

こんなにも 急に訪れようとは

思ってもいませんでした

 

テクサカオープン以来

3年経過し そして

今4年目を迎えています

 

テクサカが 

ここまで成長して来れたのも 

棚橋という力強い人物が

いたからと言っても

過言では ないでしょう

 

この3年余りの所長の

足跡は 色々あり過ぎて

一言では 

言い尽くせませんが 

所長とは 私達が入社し

営業所でのステレオ研修の時 

ステレオの講師として始めて

出会いましたね

 

全くと言っていいほど

何も知らない私達に

「音とは?」という 

ごく基本から解りやすく

ひとつ ひとつ 

私達に気を配りながら

教えて下さった事を

覚えています

 

さらに 

テクサカの次長として

活躍され そして 

所長へと大きく

前進されましたね

 

所長との出会いの中で

驚いた事があります

 

スケート大会で

初めてスケート靴を

履かれたにも かかわらず

若い私達よりも早く

滑れる様になった事も

ありますが

 

それ以上に驚いた事は 

宴会の時に出された

所長の18番!

(弁天小僧のセリフ) 

あんなにも

うまく演出できるなんて 

私達は肝でも つぶされた様に

あっけに取られてしまいました

今日もきっと所長の18番が

出るだろうの

期待をしていますが・・

 

私達をいつも 

家族の一員の様に厳しく

温かい心で接して

下さったりして

本当にテクサカの

お父さんでしたね

 

いっこうに売れていかない

私達の為に 常に色々な

男性にまで声を

かけて下さって ありがとう

でも この件については 

これからもお願い致します

 

また いつも

私達の気持ちを大切に

育てて下さった 

おとうさん ありがとう

 

私達は 涙なんか流しません 

お父さんの また 

新しい出発を前に涙なんか

流しません 祝福致します

 

また一歩前進されていく 

お父さんをテクサカ全員が

心より祈っています

 

その頼りがいのある力を 

その腕を 他でも 

やはり

必要としているのですね

 

この大奥の唯一の殿方が

一人減ってしまう事は 

とても残念で仕方がありません

 

これからも 

今まで通り私達を叱って

やって下さい 

ビシビシ言ってやって下さい

 

「やる」と決めた事は 

やり通す所長ですもの 

心配は いたしませんが 

ただ

身体だけは

気をつけて下さいね

 

オープン当初 あんなに 

お腹の出ていた所長も 

今ではこんなにスマートに

なってしまわれました

 

いつも眺める顔は 

疲れてましたね 

それなのに 休もうともせず 

いつも仕事をして いらした

 

今後は 時々 

仕事をさぼって下さいね

 

最後になりましたが 

テクサカ一同 

所長の ご健闘を

心よりお祈り致します

 

1976年5月5日

テクサカ代表

林 良枝

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こんなに嬉しい

感動のメッセージを

戴いたのです

本当に

ありがとう 感謝です

 

今 読み直しても

当時を想い出し

よくやってくれましたと

涙ぐみながらパソコンを

叩いていました

 

現在は 皆さん

どうされてるんだろう?

 

健康で元気で過ごされる事を

心よりお祈り しながら 

永遠の 心の宝物として

このメッセージを

大切にしていきます

 

改めて

ありがとうございました

お礼申し上げます