戦争が終わり

家族疎開していた

静岡から京都に戻った

 

京都は戦災に

遭わなかったので

昔のままだった

 

中学生になった

夏休みの初日

尊敬する祖父から

「正夫。いざという時の

 為に水泳だけは

 覚えておきなさい」と

アドバイスされた

 

そして

京都左京区熊野神社

近郊の疎水の入り江に

水泳教室があると

祖父から聞いた

(現在の京都踏水会水泳教室

 だと思う)

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当時は 

自宅に電話がなかったので

直接行って申し込んだ

 

それから

夏休みは ほぼ毎日

西大路三条駅から

熊野神社駅まで 

市電で通った

 

初日

背丈より深い入り江でしたが

水深1m位のところに床板が

張ってあり10人位入れた

岸辺に

横一列に両手で握れる

長い取っ手が付いていた

 

水泳の先生から 

「はい。水に入って」

「両手で取っ手を握って」

「そのまま水に顔をつけて」

「水から顔を上げて」

水に慣れさせるため

何回もやらされた

咳き込んだり 水を飲んだり

目に水が入ったと言う子もいた

 

さらに

「息を吸って 水に潜って

 苦しくなったら

 水面に顔出して

 息を吸いなさい

 用意 はじめ!」

頭から顔に水が流れ落ちても

いつの間にか

気にならないようになっていた

 

そして 

取っ手を持ち

両手を伸ばし

身体を水平にして

顔を水につけながら

苦しくなったら

顔を出し息を吸い

両足をバタバタし

続ける練習をした

 

●バタ足のコツは

膝と足首の力を抜いて

両足を交互に上下に動かし

足全体をまっすぐ伸ばし

足の甲で水を蹴る

両足の親指が触れる位に

動かす

バタ足は

水泳の基本だと教えられた

 

これが

クロールや背泳ぎのときに

役に立った

 

このように

指導と訓練によって

水に対する抵抗も恐怖感も

なくなって

水泳が 楽しくなり 

面白くなっていった

身体が浮くようになると

洗濯板位の大きさの

板を両手を伸ばし持ち

バタ足で15m位

泳げるようになっていった

 

そして 

いつの間にか

水深が深くても

水に対する恐怖心は

なくなっていた

 

平泳ぎを学び

クロール、背泳ぎ 等も

マスターして

自由に泳げるようになった

 

そして

毎年 夏が来るのが

楽しみになった

 

当時の

学校にはプールはなく

友達とよく

嵐山(渡月橋下流)や

疎水(蹴上げ付近)を

メインに夏は

水泳を楽しんだ

(現在は遊泳禁止)

 

今から思えば 

よくあんな危険な場所で 

事故も起こさず

水泳を楽しんでいたと

思うとゾッとしている