プチファスティングを終えての
ひっさしぶりの固形物
食べれる喜び、香り良きコーヒー
干芋の甘さ、ないとわかる有難み
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240104/13/tanakasayuri-tmgaw/b2/79/j/o0810108015385410223.jpg?caw=800)
ないとわかるといえば
こちら、ツボなものがあがってきたので、皆様にもシェア
フォローしてるゲッターズ飯田さんの記事をリブログ
当たり前のようにそばにる人が離れてく予兆は、周囲の人に気を使われ、ご機嫌とりの人があらわれた終わり、という内容
↑なくなってからわかる
というよりは
こういう人って、なくなったとしてもわからないんだと思う。
なんでも考えずに、俺は、私は間違ってない!て、ことで、あれが悪いこれがおかしい、こーしろ、この方がいい、と、親切なつもりな場合もあるのかもしれないが
反射的に出る言葉に配慮があるのかどうなのか、という部分
ズルい人や、逃げてばかりの人ではなく
一生懸命やってはいるのに、ズレてたり、間違ってたり、勘違いしてたりする人がいる中、どう声かけるか、そこに相手の今の気持ちに対する配慮がなかったり
ちょっとしたことに文句ばかりつけて
逆に相手がそれはちょっと、と言えば、相手には「そのぐらいいいじゃんか」と、優しさに甘えてたりする人って
例外なく最終1人ぼっち
言ってくれる人がいるうちはいいが
いなくなったら終電に乗り遅れるかのように、次は病気にでもなった時に思いしるか、そのまま孤独か、、なお先ですね
て、ことで
地位や名誉、大切な人が側から離れる前に気づけるかは、当たり前じゃないことわかってる人と、ワンマン、ワガママな人との差
からかって、笑いをとってるつもりなのか
可愛がってるつもりなのか、わからないが、やられてる方にも限界がある
周りに気を使ってもらってることに
気付けない、わからない
そういう人は
思いやりって言葉の意味がわからない
そうであってはならないよ、と、生徒にも、後輩にも変な気を使わせたことのない私は、このゲッターズ飯田さんのブログ見てうんうんうんと共感
普段のその人がつくる環境
何かあった時に気にかけてくれる人がいるかどうかも、何かあった時に助けてもらえるかも、やはり普段の思いやりある1つ1つで変わってくるもの
人を大切にすること
こういう時だからこそ
当たり前は当たり前じゃないから
自分のやりたいことだけではなく、社会貢献という部分にも目を向けた仕事の仕方、人との関わり方、自分の在り方というのを考える本日です。