無意識とは何かを解説し、そこに私の新たな発見を論じております。このシリーズもかなり長くなってきたので皆様方のご理解も深まってきたかと思います。最近の私の臨床の経験から申し上げますと、無意識が行動に出やすい時代になってきているのではないでしょうか。日本全体でそのようなに思える行動や発言が非常に多くなってきており、ここに社会構造の変化を感じるのであります。

 

思えば私がまだ小学校の低学年であったころ、催眠術や二重人格などの症状をテレビで特集し、それを家族で見て家族全員が不思議に思っていたものでありました。不思議に思うというより、衝撃的という言葉の方が的確であったように思います。現在ではそれらの症状が広く認知されたこともあり、あまり不思議に思う人も少なくなってきているのではなかろうかと思っていたのですが、実はそうではなく、そのような症状に悩まされる必要がなくなってきているのかもしれない?と思う出来事が多く、益々むずかしい世の中になってきていると感じているのであります。

 

それならそれに対応した心理学が必要になってくるわけでありまして、では、無意識を感じ、その中で気持ちよく毎日を過ごすにはどのようにすればよいのかを考えてみる時、これは意識をはっきりとさせてゆくことではなかろうかと思われます。

 

これを音楽に置き換えて考えてみますと、音楽は元々は無意識を感じ、その無意識の無限の宇宙を生活の中で活かしてゆこうとするのが目的でありました。それは古くは孔子の時代から始まり、戦前まではそのような意図で行われておりました。よって、音楽の授業の中で算数や数学、歌詞の意味を通じて国語の勉強、楽器を通じ物理の勉強、外国の歌を通じ外国語の勉強がドッキングされるなど、無意識の世界を基盤としながら、そこを意識化してゆく作業が大いになされておりました。その当時の音楽の楽しみとはあらゆる物事の理解力と直結されており、無意識へのアプローチが非常によくできていたものと考えられます。

 

このように考えると、ライブハウスへの考え方も変わってきまして、ライブハウスの事業ドメインはエンターテインメントから教育へと変化してゆくと考えると、これもまた面白いのではないでしょうか。ライブハウスがそのような事業ドメインの変更が難しいのであれば、公立の初等・中等教育を行う学校がこのような方針で教育を行うと仮定した場合、それだけでも経済構造は大きく変化するものであると思われます。しかし、様々な困難があることは簡単に予測できます。まずは教員の問題。予算の問題、法律の問題など、考えるのは簡単でありますが、実行するとなると非常に困難であります。

 

また、ライブハウスが教育方面へと変化を遂げる時、各種ミュージシャンは教育者として活動しなければならなくなり、それが果たして可能であるか?という問題であります。ミュージシャンの全てが教育者である必要はないのですが、そのようなミュージシャンを増やしてゆくだけの啓蒙活動が必要となってきます。

 

これらのように考えてみますと、問題だらけとなります。しかしながら、問題が多いから活動が可能となるパラドックスから考えますと、日本の音楽もそろそろ大きく変化を遂げる時がきているのではないかと思うのであります。エンターテインメントとしての音楽だけに道をつけるのではなく、ここに教育という道を付け加えることにより、無意識からの無限の力を受け取ることができ、今後は加速すると思われる国際化における競争においても優位に立つことができるのではなかろうかと考えられます。

 

音楽のエンターテインメントから教育へのシフトを考える時、音楽不況、そして教育の国際競争力の向上への課題の両方を解決できるものと私は考えております。これは非常に難しい問題であると思われますが、私は個人的にこのように音楽が前進してくれることを期待しつつ、今後も様々な活動を続けてまいります。

 

ご高覧、ありがとうございました。