無意識からは様々な恩恵を受けていることを論じております。深層心理学は通常、この無意識が悪いように働くようになった時にどのように対処してゆくべきかを考えてゆく学問でありますが、私はこれを逆に考え、良い方向へ活用するにはどのようにすればよいのかを考えてゆく立場の学者であります。

 

ユングは統合失調症の研究を進めてゆくうえで元型の発見に至るのですが、私はそれらの研究結果を踏まえたうえで、これは芸術方面への活用を是非とも進めたいと思い、現在に至っております。つまり、私の場合、悪いところを治してゆこうという立場ではなく、ホメオパシー的な立場での研究を行っているのが特徴でありまして、ここを先にご理解いただきたいのであります。

 

この考え方は、最近になって話題のワクチンであるとか、血清などと同じような考え方でありまして、毒の全てが悪いわけではなく、使い方によっては非常に良い方向へ向かうことを意味します。人間の笑いや芸術への関心はどこからやってくるのかというと、深層心理学的に結論を先にいっておきますと、それは心のアンバランスから生じる現象であります。例えば、笑いが起きる時を例にしますと、笑いが起こった時は心が晴れますが、実のところそれは心のバランスが振れている状態であることを示します。男性がある女性を見て一目ぼれしたときも心のバランスがおかしなことになっているからそうなるわけでありまして、これについては先ほどの映画のプリティーウーマンにて十分に論じた次第であります。

 

このように、深層心理学は心のバランスを非常に重要視する学問であるのですが、人間の日常生活において幸せに感じる時というのはどこかで心のバランスが崩れている状態の場合でありまして、その意味で幸せな期間が長く続いているとき、それは同時に心のバランスがおかしなことになっているサインであると思われます。人生山あり谷ありといいますが、そして中庸という考え方からしても、やはり、バランスは非常に重要であると思われます。

 

とはいうものの、やはり心の安らぎ、そして酒を飲んだ時くらいは笑いが欲しくなるのも人情であります。心のバランスを重要視するあまり酒を飲んだ時に笑いが全くない空間を考えてみたとき、これほど情けない状態はないように思われます。しかし、笑いは心のバランスが崩れてる状態であるとすると、このアンバランスさが生むバランスの良さなるものはやはり人間だからこそ可能である状態であるように思われますし、心のバランスが崩れているからこそバランスが取れるという逆説を生むわけでありまして、このような現象を見るたびに研究者としてのやりがいを感じるのであります。

 

このようにして無意識を考えてゆくと、元型に対しても、とりわけ芸術家の方々には興味をもってもらえるのではないでしょうか。先日はテレビにて三島由紀夫についての特集をやっていたのですが、あの方の発言を聞いておりますと、やはり、心のかなり深い部分から発せられる感情が多く、それを言葉に変換してゆく作業は非常に大変なことであったであろうと感じたのでありました。同時に、私が思ったのは、例えば、元型は本当に存在すると仮定して、それに肉付けないし、色を付けてゆく作業を行ってゆくとこれもまた面白いことになるのではないかと思ったのでありました。

 

例えば、ラフな格好をした老賢者がいれば、これもまた面白いことになったのではなかろうかと考えてみたとき、そのような物語が既に存在しておりまして、『天才バカボン』のパパはその範疇ではないでしょうか。影がない人間の話はよくありますが、影を生きようとする人間のことを少しづつ色付けしてゆくと、それこそ理想の人間像を感動物語として書くことができるのではないでしょうか。このようなことを知っていながら芸術活動を行うと、精神的に非常に楽な状態で、しかも楽しみながらできるのではなかろうかと思われます。そして、今日は自宅での作業が多くなってきていることから、空いた時間を利用して芸術活動に励んでいただければ幸いであると感じております。

 

ユングの元型理論そのものは非常に難解なものであります。なぜなら、統合失調症の研究が基礎となるからであります。そこを何とか簡単に説明してほしい!!という意見はたくさんあります。それをここでやっているわけでありますが、ある程度の知識を頭に入れた後は、実行しないと理解することは難しいのではないでしょうか。まずは元型のことを頭で理解できたのであれば、あとはそれを活用して、遊んでみることが必要であるかと思います。そうすることにより、新しい経済が回ってくるのではないでしょうか。

 

今回はここで筆をおきます。ご高覧、ありがとうございました。