いつだって… H・A・G・S! 1話(夏詩の旅人 3 Lastシーズン) | Tanaka-KOZOのブログ

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 2013年6月 午後 由比ヶ浜海岸

僕は遠浅の海を眺めていた。
平日の午後なので、海でサーフィンや、ウィンドをやっている者は、ほとんどいなかった。

僕は家事を済ませると、毎日、目の前の海へ散歩に出掛ける。
一方、同棲してるサーファーのハルカは、近くのデリカショップへ働きに出ていた。



僕は、毎月の生活費を今までの自分の貯金から、彼女に渡していたが、それでも無職というのは、なんとも肩身の狭い心境である。
早く左腕が完治さえすれば、さっさと就職でもして、こんな気持ちで毎日を過ごさなくてよいものなんだが…。

僕はそんな事を思いながら、海を眺めていたのだった。




「HAGS」とは、Have a great summerの略で、アメリカのスラングです。
意味は、「良き夏を!」




「ん!」
海を眺めていた彼はそう言うと、波打ち際で剣道の竹刀を熱心に素振りする少女に気が付くのだった。



無言で前を見つめながら、少女は大きく振りかぶり「面」を打つ。
竹刀を振る度に、その少女のポニーテールが揺れる。

ほぉ…、剣道か…。懐かしいな…。

少女を見つめる彼は、そう思うとニヤリと微笑んだ。
彼は高校時代まで、剣道をやっていたからだ。

彼がしばらく少女を眺めていると、彼の視線に気が付いた少女は、竹刀を振るのを急に止めた。
そして少女は竹刀を納めると、彼の方へ近づいて来るのだった。

ん?

彼は、近づいて来るポニーテールの少女を不思議に思う。
目の前にやって来た、その少女の表情は険しかった。

「ちょっと!、何ですか!?、ひとのことジロジロ見て!、いやらしいッ!」(少女)

「はぁい!?」(彼)

「このヘンタイッ!」
少女が怒った顔で彼に言った。

「ちょっと待ってくれよッ!、誤解だよ…ッ!」
少女の予期せぬ言動に、彼は両手で制止ながら及び腰で言う。

「何が誤解よ!、私の事、ニヤニヤしながら見てたじゃないッ!」(少女)

「大きな声を出すなってッ!(汗)」(彼)

「剣道部なんだから、声は大きいのッ!」(少女)

「分かった!、分かった!、落ち着けよ…」
彼がそう言って少女をなだめると、少女はムスッとした表情で彼を睨む。

「俺、剣道やってたんだよ!、だから懐かしくて、つい見ちゃったんだって…ッ!」(彼)

「嘘ッ!、剣道やってた人に、ヘンタイがいるもんですかッ!」(少女)

「剣道やってたって、ヘンタイなやつは、いっぱいいるだろぉッ!」(彼)

「ほら、やっぱりッ!」(少女)

「あうう…ッ!、でも俺は、違う…、いや…?、ちょっとはそうかな…?、ははは…(笑)」
彼はそう言って苦笑いするも、少女は無言で睨みつけるのだった。

「いや…、だからぁ…、誰だって、人に言えない性癖があるだろ?、君だってあるはずだ!」(彼)

「ないよ、そんなのッ!」(少女)

「そうかぁ~…?(苦笑)、実は君のオトーサンの足の臭いが、納豆臭いんだけど、その臭いが、たまらなく好きだとか…?」(彼)

「そんな人、いないよッ!」(少女)

「ばかだなぁ~…、いるんだよ世の中には、そういう人も…(笑)」(彼)

「オジサンもそうなの!?」(少女)

「オジサンって、俺の事?」
彼が自分を指すと、少女が頷く。

「俺は違うよ…。俺のは、ただの“ガタン、ゴトォォ~ン”だよ」(彼)


※「CHU CHU TRAIN 」の回を参照

「何?、“ガタン、ゴトォォ~ン”って…?」(少女)

「いいんだよ!、そんなハナシはぁ~!」
彼が恥ずかしそうに言う。

「ホントにやってたのオジサン…?、剣道を…?」
少女が怪訝な表情で彼を見つめる。

「本当だ。剣道三段だ」(彼)

「へぇ…、三段なんだぁ~?、いつ取ったのオジサン?」(少女)

「オジサン、オジサン、うるせぇやつだなぁ…。高3だよ!」(彼)

「すごぉ~いオジサン!、高3で三段なんて!」(少女)
※私が高校時代は、高3で三段を取るのは、稀であった。

「じゃあ、悪かったな…。俺は失礼させてもらうよ…」
彼はそう言って右手を少し上げると、すっと踵を返してスタスタを歩き出す。

「待ってオジサンッ!」
少女が彼の背中に言う。
しかし彼はそのまま歩き続ける。

「待って!、待ってよオジサンッ!」
「聞こえないのッ!?、オジサンってばぁ~ッ!」(少女)

「ちょっと、そこのオニイサンッ!」(少女)

「何だ…?」
振り返る彼。ガクッと崩れる少女。

(単に呼び方が気に入らなかったのかぁ~…?)
崩れた体制を立て直しながら、少女が思う。

「何だ?」
彼は、ぶっきらぼうに聞く。

「あのさ…、さっきはごめんなさい…」
「オジ…、いや…、オニイサン、三段なんでしょ?」(少女)

「ああ…」(無表情の彼)

「コーチしてよ。私の剣道の…」
上目遣いで少女が言う。

「やだね」(彼)

「何でぇぇ!?、いいじゃないッ?」
「平日の昼間に、こんなとこ居るって事は、無職でヒマって事でしょうッ!?」(少女)

「俺が今、一番悩んでる事をズケズケと…ッ!」(彼)



「ねぇ!、良いでしょぉ?、お願いッ!」(少女)

「なんで俺に頼むんだよぉ!?、三段なんていくらでも居るだろ?」
「学校の先生に、教えてもらえば良いじゃねぇか…」(彼)

「顧問の先生は、素人なんだよぉぉ…!」
懇願する少女

「何でそんなにコーチが必要なんだ?」(彼)

「どうしても勝ちたい人がいるの!、一度も試合で勝てない人に、勝ちたいのッ!」(少女)

「頑張れば、いずれは勝てる様になるさ…」(彼)

「対抗戦が一ヶ月後にあるのッ!、それが最後の対戦なの!」(少女)

「最後…?」(彼)

「私、一学期が終わったら転校するの…、だから、それが最後の対戦になるの…」
「このまま一度も勝てないで転校するのはイヤ!、負けたままで、この町を去るのはイヤ!」(少女)

「ふむ~…」
考え込む彼。

「オニイサンだって、剣道やってたなら、分かるでしょ?、この気持ちがッ!」(少女)

「俺はヘンタイだぞ…、良いのかヘンタイがコーチでも…?」
無表情の彼が静かに言う。

「いいよヘンタイがコーチでもッ!、勝てるなら、失業者だって構わないよッ!」
少女は彼に、力強く言う。(悪気なく…)

「お前なぁ…」
彼は少女の言葉を聞くと、ワナワナと震えるのであった。








それから彼は、少女のコーチになる事にした。

「ところで君、名前は?」
彼が少女に聞く。

「佐々木瑠偉…」
少女が言う。

「ルイか…、よし、そんじゃ今から君の事は、ルイと呼ばせてもらう」
彼が言った。

「オジサンは、何て呼べば良い?」(ルイ)

「師匠と呼べ」(彼)

「師匠~ッ!?」
ルイが嫌な顔をする。

「当たり前だろ!、今から君は俺の弟子なんだから…、師弟関係になるんだから…」(彼)

「分かったわよ!、師匠!」
ヤレヤレという感じで言うルイ。

「宜しい…」
彼が澄まし顔で言う。

「ところで、ルイがさっき言ってた、ライバルの選手はどんなやつだ?」(彼)

「名前は、塚原マリ…。彼女の父と母も剣道をやっていて、幼稚園の時には、マリは剣道を始めてたらしいわ」(ルイ)

「なるほど…、両親の影響で、幼少期から剣道の英才教育を受けてるワケだ…。まるでアイチャンだな…」(彼)

「アイチャン?」(ルイ)

「卓球のだ!」(彼)

※福原愛

「ああ…、そっちね…」(ルイ)

「他は…?」(彼)

「他?」(ルイ)

「塚原マリの情報だ」(彼)

「ああ…、えっと、マリは剣道初段を持ってる」(ルイ)

「ルイは?」(彼)

「私も一応は、初段」(ルイ)

「君らは今、何年生だ?」(彼)

「2人とも中2」(ルイ)

「そうか…、なら中々、優秀な剣士なんだな2人とも」
彼がそう言うと、ルイは少し照れる顔をする。

「でもね!、マリは同じ初段でも、全然違うのよ!」
一瞬の間を空けて、ルイがすぐにそう言った。

「全然違う…?」(彼が聞く)

「なんて言うのかなぁ…?、初段だけど、実力はまるで高校級って感じ?」(マリ)

「ほう…。やはり幼少期からの英才教育が利いてるんだな」(彼)

「それもあるかも知れないけど、何ていうか…?、まるで戦い方が違うのよ」(ルイ)

「違うって、どういう風に?」(彼)

「すごい激しいの!、マリの中学では、剣道部の男子でも勝てないのよ」(ルイ)

「そいつはすげぇな…」(彼)

「もお、激しくて、ひたすら攻撃してくるスタイルの剣道なの!」(ルイ)

「そのマリってコは、元々、神奈川県の生まれか?」
何かピンと来た彼が、ルイに聞く。

「マリは神奈川生まれだよ。でもマリのお父さんとお母さんは鹿児島の人。仕事の関係で、マリが生まれる前に神奈川へ越して来たみたいね」(ルイ)

「そうか…、彼女の戦い方と、両親の出身地で謎が解けた」(彼)

「どういう事!?」(ルイ)



「示現流だ…。彼女は示現流の流れを汲んでいる」(彼)

「ジゲン流~?」(ルイ)

「示現流は厄介だぞ~。俺も一度、対戦した事あるがなぁ」
「示現流の初段は、こっちの二段…、つまり高校生レベルくらいある!」(彼)

「そんなに鹿児島はレベルが高いのぉ~!?」(ルイ)

「恐らく剣道人口が多いんだろうな…?、競技者が多いから昇段審査が厳しいんだろう…」
「よく、極真空手で二段取れたら町の喧嘩じゃ最強だって…、極真の初段は、他の空手道場の二段に値するって聞くけど、示現流は正に剣道界のそれだ!」(彼)

「なんか空手の話に置き換えたりして、よく分からないわ!」
「要するに、Zガンダムのティターンズみたいなものって事?」(ルイ)



「お前の言ってる事の方が、よっぽどワケ分からんわッッ!」(彼)
※同じ地球連邦軍の将校でも、ティターンズ所属の将校は階級が上と見なされるらしい(笑)

「ねぇ師匠!、示現流って、何なの?」
ルイが、彼に聞く。

「示現流はな…。薩摩藩主、島津家の家臣だった、東郷重位(とうごうじゅうい)が流祖の剣術だ」
※「剣術」剣道の母体となった古流武術。日本刀を使う事を前提にした武術である。

「特徴は、先手必勝の一撃必殺…、つまり、最初の一太刀で勝敗をつける思いで剣を振り、二の太刀は必要とせずという考え方の剣術だ」

「依って、示現流の遺伝子を受け継いでいる九州地方の剣士たちは、防御など頭に置かず、力強くて鋭い打ち込みを、連続攻撃でしかけ、相手を切り崩していく様なスタイルなんだ」

彼が、過去に対戦した示現流剣士との戦いを思い出しながら説明した。(※マジです)

「だからマリの剣道は、あんなに激しいんだぁ…?」(納得するルイ)

「示現流は、あの新選組も恐れていたらしいぜ…」(彼)

「新選組って、沖田総司や、土方歳三の?」(ルイ)



「ああそうだよ…。その新選組は、局長の近藤勇の道場「試衛館」の面々が中心となって出来た組織だ」
「試衛館の流派は、天然理心流と云ってな、その新選組には優れた剣客が多い事で、当時の幕末では、討幕派から彼らは恐れられていたんだ」

「なんせ新選組には、北辰一刀流の免許皆伝だった山南敬助や、その山南を他流試合で打ち破った、近藤勇、そして、その二人さえも手玉に取る腕前であった、若き剣豪、沖田総司がいたからな…」

※北辰一刀流:千葉周作を流派とする剣術で、現代剣道の礎となった。その北辰一刀流の玄武館道場には、門弟が六千人もいたとされ、江戸随一の剣術道場と云われていた。

「その新選組が示現流を恐れていたんだぁ…?」(ルイ)

「そうだ。だからいかに示現流が手強いか分かるだろう?、ちなみに、俺は東京出身なんだが、そこは、武蔵野・多摩地域といってな、剣道が盛んな土地だった」
「何故ならば、その地域こそが、新選組の試衛館がある土地だったからな」(彼)

「では、師匠は天然理心流の流れを汲んでいると…?」(ルイ)

「いや…、俺の通っていた道場は、夢想神伝流だったな…」(彼)
(※マジです)

「なぁ~んだ…。じゃあダメかぁ…」(ルイ)

「お前ね…、夢想神伝流をナメんなよ…。夢想神伝流はな、大日本武徳会から前人未到の剣道・居合術・杖術の三範士号を授与し、「昭和の剣聖」「最後の武芸者」と云われた、中山博道(なかやま はくどう)が流祖の居合道なんだぞ」(彼)

「ふぅ~ん」
あまり反応が無いルイ。

「ルイも初段の昇段審査で、剣道形(居合)を三本までやったろ?、あの日本剣道形の母体は、夢想神伝流から取り入れたものなんだぞ!」(彼)

「え!?、そうなんだ!?」(ルイ)

「云わば、夢想神伝流は、現代剣道の表舞台で発展して来た流派だ」
「一方、示現流は当時の薩摩藩士が九州地方からは、門外不出の剣法とした事で、いわば裏舞台で暗躍して来た影の剣法だ」(彼)

「という事は…ッ!?」(ルイ)



「つまり、俺から教えを乞うルイと、九州の血を引くマリとの対決は、現代における、夢想神伝流と示現流の戦いという事になるんだよ!」(彼)

「ええ~ッ!、なんかスゴイ事になって来た!」(ルイ)

「なぁルイ…、塚原マリが、実際に剣道をやっている姿を見てみたい。そうすれば、何か攻略法が見つかりそうなんだが…」(彼)

「あるよ動画が」(ルイ)

「え?」(彼)

「マリとの今までの対戦記録を、お母さんに全部スマホで撮ってもらってるから…」
ルイはそう言うと、カバンからスマホを取り出し操作する。

「はい…、これよ」
そしてルイは、スマホを横にして彼に渡した。

スマホを受け取った彼が、無言でその動画を見つめる。
画面からは、少女たちの掛け声と共に互いの竹刀がぶつかり合う音が聴こえる。



「ありがとう…」
彼は動画を一通り見ると、そう言ってルイにスマホを返した。

「どう?、何か分かった?」
ルイが彼に意見を求める。

「ああ…、技のキレ、瞬発力、スピード…、全て向こうの方が、君より何枚も上手だな…」
彼が静かに言う。
ルイは黙って聞いている。

「君はマリから全て出鼻を挫かれている…。君が面を出すと、出小手を決められ、互いに面を出し合うと、君の竹刀はマリにすり上げられて、面を喰らってる…」
「つまり瞬発力と技のスピードが、マリの方が早いからだ…」

「一方、マリにとってはルイの技は遅く感じるから、全て技を見切られている。だから、君の技はマリの身体に届く前に、全部仕留められてるワケだ」(彼)

「どうすれば勝てる?」(ルイ)

「普通、指導者が考えるならば、ルイにもマリと同程度の瞬発力をつけさせるトレーニングをさせるだろうな…」(彼)

「じゃあ、それをやりましょう!?、どうすれば…ッ!?」(ルイ)

「ムリだ…」(彼)

「え!?」(ルイ)

「ムリだ…。一ヶ月後には試合があるんだ。そんな瞬発力を上げる訓練などやったところで、今からじゃ、とても間に合わない」(彼)

「じゃあ私はマリに、やっぱり勝てないって事なの?」(悔しそうに言うルイ)

「ふふ…、いや…、勝てるよ…」
彼が笑みを浮かべて言う。

「え?、だって今、師匠は今からじゃ間に合わないって…!?」(ルイ)

「言ったろ…?、普通の指導者が考える、やり方ならばって…(笑)」
「俺はフツーじゃねぇ…、ヘンタイだからな…(笑)」(彼)

「どうするつもり…?」(ルイ)

「現在の、ルイのフィジカルでも出来る技を教える!、スピードが相手より遅くとも、一本決められる技を教えよう…」(彼)

「どうやって…?」(ルイ)

「頭を使う…」(彼)

「アタマ…?」(ルイ)

「はは…、頭突きじゃねぇぞ(笑)、インサイドワークの事だ」(彼)

「インサイドワークですかぁ…?」(ルイ)

「試合運びだよ。試合の攻め方、組み立て方、そして、誰も予想しない技で決める」(彼)

「相手とのフィジカルに開きが多くても、勝てるっていうの?」(ルイ)

「そうだ」(彼)

「そんな事できるの?」(ルイ)



「出来る!…、君は何にも分かってないなぁ…」
「ならば世界一腕力のある奴だったら、あらゆる格闘技の大会で世界一を獲れるってのか!?」

「世界一の速球投手よりも球が遅いのに、勝利数が多いピッチャーが、野球で存在するのは何故だ?」
「それは、頭を働かせなきゃ勝負には勝てないって事だ」

「いいか?、大事なのは状況判断だ。瞬時に的確な判断が出来るかどうかだ。これは、スポーツだけじゃない、人生そのものにも言える事だ」

「人はすぐに、目先のスキルを上げる事ばかり考える。運動神経を向上させれば、強いシュートが打てて、サッカーの試合に勝てると思ってる」

「秘書検定の資格を取って、PCの入力速度が速く出来れば、仕事を早くこなす優秀な会社員になれると思ってる…。だが、それは違う…」

「フィジカルの向上は、もちろん大切だ。だが、サッカーで点を取るのは、相手ゴールに走ってる最中で、どこからパスをもらうか、どこへパスを出すべきか判断できる頭だ」

「三振を多く取れるピッチャーも、どのコースを付くか、意表を付くかで三振を取る。何故ならば、早い球は、やがて相手の目が慣れて来たら、それだけじゃいずれ打たれるからだ」

「仕事もそうだ。いくらPC入力が早くても、仕事の交渉力や、決断力が遅かったら、入力スピードが速くても、仕事の処理は遅いって事だ」

「だから大事なのは、その場、その場の的確な判断力だ。試合運びが重要なんだ」

彼がそこまで言うと、ルイは「はぁ…」と、感心する。

「俺が現役時代、どんなやつが相手でも、必ず決めた技を教えてやる。相手が七段であろうが、俺よりも技術が上だろうが、インターハイで3位になったやつが相手だろうが、必ず決めた技を教えてやる」(※マジよ!)

「だが、それを決めさせるのは、身体能力を向上させる事よりも、その技をどのタイミングで出すかが重要なんだよ」

彼は、そう言うとニヤリと微笑むのであった。


「よし!、ルイ!、大きく振りかぶってメンを打ってみろ!」
それからしばらく後、彼がルイにそう言って、素振りをさせた。

ブンッ!

ルイがメンを打つ。

「ダメだそれじゃ…、もっと脇を広げて、左右が見えるくらいに大きく振りかぶれ」(彼)

ブンッ!(ルイが大きく振りかぶってメンを打つ)

「切り返しをやってみろ…」
彼が今度は、切り返しの素振りをしろとルイに言う。

ブンッ!、ブンッ!、ブンッ!……。

竹刀を左右に振り続けるルイ。

「ダメだ!、ダメだ!、左拳が正中線からズレてるじゃねぇか!」
「左拳を額の位置から反らさず、右腕でコントロールしながら腕を前に伸ばせ!」(彼)



ブンッ!、ブンッ!、ブンッ!……。(竹刀を左右に振るルイ)

「そうだ。そのまま正中線からズラさずに振れ…」(彼)

「いいか?、中ボーくらいまでだったら、今までの振り方でも一本取ってくれただろうがな…」

「これから高校生になったら、あんな振り方じゃ、当たっても一本取ってくれないぞ。昇段審査も通らないからな…」(彼)

ブンッ!、ブンッ!、ブンッ!……。(無言で、竹刀を左右に振るルイ)

「よし、いいぞその調子だ…。それじゃまた、さっきの大きく振りかぶるメンを打ってみろ」
彼がそう言うと、ルイが大きく振りかぶってメンを打つ!

ブンッ!

「さっき言ったろ?、左右がしっかり見えるくらい脇を広げろって、ルイ、大きく振りかぶれ」(彼)

ブンッ!(ルイがメンを打つ)

「止める時は、雑巾を絞る様に…」
打ち終わった後のルイに、そういう彼。

ブンッ!

メンを打ったルイが、両手で柄を絞る様にして竹刀を止めた。

「よし、じゃあ次は、このタイミングで振ってみろ…」
「バッと素早く振りかぶったら、一瞬止めてから素早く打つ…、もちろんその時も、大きく両脇を広げてだ」(彼)

バッ!…、ブンッ!
云われた通りに打つルイ。

「止めてる時間は、もっと短くて良い…、振り上げたら、気持ち0.5秒ほど止めて、すぐ振り降ろすッ!」(彼)

バッ、ブンッッ!

「そうだ、そんな感じだ」(彼)

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

「あの、師匠…」
何本か素振りした後、ルイが彼に言う。

「何だ?」(彼)

「どうして今更、こんな基本的な素振りをさせるんですか?」(ルイ)

「勝つ為だよ」(彼)

「この練習がですか?」(ルイ)

「そうだ。この打ち方でメンを決める。大きく振りかぶる程、相手にキメられる」(彼)

「こんな遅い振り方じゃ、避けられますよ!」(ルイ)

「いいからやれ…、俺を信じろ…」

彼がそう言うと、ルイは、「は、はぁ…」と、困惑しながら、言われた通りの素振りを続けるのであった。

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

「ルイ…、素振りを続けながらでいいから、聞いてくれ…」
しばらくすると、彼はそう言って素振りを続けるルイに話し出した。

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

「武道とは、かつて武術と云われ、剣道も剣術と云われた…。今の呼称になったのは、明治時代に入ってからだ」
「古の剣術者たちは、道場で剣術を磨くと共に、徒手、組手なども一緒に学んだ」(彼)

「トシュ…、クミテ…?」
それは何と、素振りを続けるルイがつぶやく。

「今で言う、柔道や空手、合気道みたいなものだ…。つまり、昔は軍隊格闘技だったという事だよ」
「だから、かつての武道家たちは、剣道だけとか、柔道だけ、空手だけという事でなく、過去…、または同時に複数の武術を学んだ」(彼)

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

「そして、時代が昭和になると、今までは真剣での勝負を想定して、竹刀を使った剣道と、木刀を使った居合道が同時に稽古されていたのを廃止し、剣道と居合道を分けて、別々の武道として学ばせる事にしてしまった」(彼)

「以来、剣道は、面と小手と胴へ、いかに素早く当てて試合に勝つかという、スポーツ競技になってしまった」
「なぜならば、竹刀で一本を取る現代の剣さばきでは、真剣に対応できないからだ。真剣の重さでは、あのような竹刀の動きは不可能だからな…」(彼)

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

「小手・面などという連続技は、真剣での戦いではあり得ない…。振りかぶらずに、竹刀を前に伸ばして、手首で当てる現代剣道など実戦では何の役にも立たん」
「唯一、使えるとしたら「突き技」くらいだろうな…」(彼)



「現代剣道の成立に尽力した中山博道…、さっき話した夢想神伝流の流祖の剣術家の事だが、彼は晩年、全日本剣道大会を観た時に嘆いたそうだ」
「これは、“竹刀選手権”だ。誰一人、及第点を付けられる剣道家はいないと、云って仰せられたそうだ」(彼)

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

「そこで、現役当時だった俺は考えた。剣道の試合では皆が全て、竹刀を鞭の様に操って、鋭く打ち込んで来る…。正に塚原マリがそれだ」
「現代の剣道試合では、選手が皆、その打ち方のタイミングで、相手の攻撃を防御してるんだよ」(彼)

バッ、ブンッッ!

バッ、ブンッッ!

「そこで、試合開始早々…、ルイが塚原マリに、今練習してる、大きく振りかぶってから、0.5秒止めて打つとどうなると思う?」
「想定外の打ち方に、タイミングを狂わされた相手は、ものの見事にメンを決められてしまうのさ…」

「野球の投手がチェンジアップを投げるのと、同じ効果になるんだよ。俺はそうやって相手から何度も一本を奪っていた」(彼) ※マジよ!

「師匠~!、すごい~!」
素振りを止めて、ルイが言う。

「但し、これが利くのは一度だけだ。それと、現代剣道にも対応した鋭い打ち込みが出来てこそ、効果がある!」(彼)

「分かります!、早い球が投げれるから、チェンジアップの効果があるのと一緒ですよね!?」(笑顔のルイ)

「そういう事だ…。だが剣道の試合は、先に二本先取した方が勝ちだ。つまり塚原マリから、あと一本取らなければならない…」
「そこで今から次の技を教える。その技も面白いほど決まるぞ!、特に一本先取されて動揺してる相手にはな…」

彼はそう言うと、ルイに新たな技について説明し出すのであった。




「よし!、じゃあ今日は、ここまでにするか…」
夕暮れの由比ヶ浜海岸で、彼が言う。

「ありがとうございました」
ルイはそう言うと、ペコリと頭を下げた。

「明日も今日と同じ時間からで良いか?」
彼がルイに、明日の練習開始時間を確認する。

「あ…!、明日はいつも通りに部活があるから…」(ルイ)

「いつも通り…?」(彼)

「今日はたまたま午前中だけの、短縮授業だったの」(ルイ)

「ああ…?、それで明日はいつも通りと…?」(彼)

「部活が終わってからここに来ると、夕方6時くらいになっちゃうけど、良い?」(ルイ)

「構わんよ…。だが辺りが暗くなるから、どうだ?、あそこで練習するってのは?」
彼はそう言うと、海岸から道路を挟んだ海浜公園を指すのだった。

「ええ…、構わないわ」(承諾するルイ)



「あそこなら、暗くなっても街灯があるからな…。それにここは、海の家の工事も始まってるから。俺たちは邪魔だろ?」(彼)

「じゃあ明日から海浜公園で6時頃集合という事で…」(ルイ)

「分かった…。じゃあな…」
彼がそう言うと、2人はそれぞれ、海岸を後にするのであった。


「ただいま~!」
それから、家に着いた彼が玄関で言う。



「どこ行ってたの?、こんな時間まで…?」
仕事から戻っていたハルカが、台所仕事をしながら、彼に振り返って言う。

「実はさ…」
ハルカにワケを聞かれた彼は、今日のルイとの出来事を説明し出すのであった。


「ふふ…、そぉなんだぁ…?」
彼の話を聞き終えたハルカが笑顔で言う。

「怒らないのか…?」(彼)

「怒るって?、何で…?」(ハルカ)

「いや…、だから、働きもせずに、そんな事してて…とか…?」
バツが悪そうそうに彼が言う。

「良いじゃないの、やる事が出来て♪」(ハルカ)

「はぁ?」(彼)

「今日のあなたの顔、とっても楽しそうよ!、毎日、悶々としてるよりよっぽど良いわよ」(ハルカ)

「そうか…、すまない…。俺さ、早く怪我治して働くから…」(彼)

「またそんな事、言って…、気にしないでいいから…、あなたはその時が来たらちゃんとやる人だって分かってるから、言わなくても大丈夫よ(笑)」(ハルカ)

「うん…、ありがとう…」(彼)

「ビール飲むんでしょ?」(ハルカ)
※発泡酒だが(笑)

「ああ…」(頷く彼)

「今日ね。帰りに八百屋さんに寄ったらミョウガが80円で売ってたの♪」(ハルカ)
※1パック3個入り 通常は安くても120円以上

「へぇ…」(彼)

「だから4つも買っちゃった!、待っててね。今、それでおつまみ作ってあげる」(ハルカ)

「ミョウガで…?」(彼)

「うん!、さっぱりして、夏にぴったりのおつまみ!(笑)」
ハルカはそう言うと、パックから出したミョウガを水洗いした。

ミョウガを千切りにするハルカ。
手際よい包丁さばきである。

ハルカは、そのスライスされたミョウガを小皿に盛る。
そして鰹節をパラパラと振りかけると、最後にポン酢醤油を上から少しだけ垂らした。



「はい、出来上がり♪」
笑顔のハルカはそう言うと、缶ビールを冷蔵庫から出していた彼に渡すのであった。

「ほぉ…」
彼がそう言いながら、ミョウガを見つめながらキッチンのテーブル席に座った。

プシュッ…。

麒麟淡麗のプルトップを開ける彼。

「では…」
彼はそう言うと、ミョウガのスライスを箸でつまむ。

「え!?…、たったこれだけで、こんな風になるんだぁ…?」(彼)

「美味しいでしょ?、さっぱりして」(ハルカ)

「うん…、美味いよ!、ビールにぴったりのつまみだ。俺、これ気に入ったよ!」(彼)

「ふふ…、そう、良かった…。じゃあ、私、ご飯の支度するから、独りでやっててね」
ハルカはそう言うと、台所仕事の続きを始める。

ハルカの後姿を見ながら、缶ビールを口にする彼。

(これなんだよなぁ…。俺が彼女と一緒になりたいって思った理由がさ…)
彼がそう思う。

苦しい時は助け合い、笑顔をいつも絶やさない。そんなハルカの姿に、幸せな人生とはこういう事なんだと、彼は深く感じるのであった。




 そして7月になった。
あれから彼は、ルイと夜の鎌倉海浜公園で、土日を除いた毎日、彼女の剣道の指導に当たっていた。

「よし!、秘密兵器第2弾もマスター出来た様だから、今日は最後となる第3の技を伝授する」
彼がそう言うと、ルイは「やったぁ♪」と声を上げる。
彼女は、代わり映えの無い練習に飽きが来ていた様だ。

「最後の技は、胴技だ。これも決まる!、特に開始早々に使えば間違いなく決まる」
「だが、この技は最初に使ってはいけない。最初に使うと一本を取ってくれないからな…」
彼がそう言うと、「最初に使うとダメ?」と、不思議そうに言う。

「この技も意表をついた技だ。だが、余りにも珍しい技だと、開始早々に使っても審判は取ってくれないんだ」(彼)

「どうして?」(ルイ)

「珍しい技だと審判も意表を付かれて、判定に一瞬迷うんだよ。それで、そのまま試合が続けられちゃうんだ」(彼)

「じゃあ、いつ使うの?」(ルイ)

「試合の終盤だ。勝負がきっ抗してて、時間切れが迫った時だ」
「そういう状況になると、審判は試合を引き分けで終わらせないように、試合開始の序盤よりも有効打に対して甘くなるんだよ」(彼)

「ふぅ~ん…、そうなんだぁ…?」
「ねぇ、師匠はどうして、こんなトリッキーな技ばっか使ってるの?」(ルイが聞く)

「いや、別にそういう技ばかりってワケじゃないよ。普通の技も使うけど、それだけじゃ勝てない相手に使うんだよ」
「俺も君と一緒でさ。瞬発力が人並み以上にあるってワケじゃなかったんだ。その代わり、持久力は人並み以上にあったよ」

「掛かり稽古を90分も連続で続けさせられても、俺より、打たせてる相手側の方が先にバテちゃうんだ(笑)」
「稽古前の走り込みや、階段の駆け上がり、ベンチプレスも毎日やるんだけど、俺は他の部員の3倍やっても平気だった」

「運動部が1000人出場するマラソン大会に出ても、陸上部やサッカー部と競って、7位に入賞したりしたよ」
「血尿も毎日出てたよ(苦笑)」(彼)

「ケツニョウ…?」(ルイ)

「血のションベンだ。オリンピック代表選手なんかも、血尿を毎日出してるらしいぞ…(笑)」(彼)

「血なんか出て大丈夫だったの?」(ルイ)

「厳密に言うと血が出るワケじゃないんだ。運動した後のオシッコは、黄色くなるだろ?、運動し過ぎると、その色が段々濃くなってきて、血みたいな真っ赤な色になって出て来るんだ」(彼)

「へぇ~、すごい~!」(ルイ)

「そんなに練習しても、瞬発力では俺が敵わないやつがゴロゴロしてた。だから、考えた。ああいうトリッキーな技をな…」(彼)

「それを教えてくれるワケね!?」(ルイ)

「ああ…、そうだよ。だけどな、あまりこういうトリッキーな技に頼り過ぎない様に、という事も言っておく」(彼)

「どういう事?」(ルイ)

「今回は、格上の塚原マリに勝つ為に教える。だが、こういう技を嫌うやつもいるんだよ」(彼)

「嫌うって、誰が?」(ルイ)

「試合の審判や、昇段審査の審査員…、それと俺の高校時代の剣道部の監督がそうだった」(彼)

「監督が…?、なんで?」(ルイ)



「俺にその技でやられちゃうからさ…(笑)、武道ってのは、凄い上下関係が厳しくてな…、格下が格上に勝つのを許さない風潮があるんだよ」
「だから、プライドの高い奴は、それで一本取られたと、認めたくないんだ」(彼)

「なんかセコイね。その監督…」(ルイ)

「俺も当時、それと同じ様な事を監督に言ってやったよ(笑)」(彼)

「ええ!、そんな事、言っちゃって大丈夫だったのぉ!?」(ルイ)

「大丈夫じゃないよ…(笑)、そりゃあ大変な事になったよ。それが切っ掛けで果し合いをする事になっちゃったんだから…(笑)」(彼)

「果し合い~!?」(ルイ)

「そう…、果し合い…」
彼は、ルイにそう言って微笑むと、当時高校生だった頃の自分を思い出すのであった。


 1982年 春
彼が高校に入学したと同時に、栗林という新任体育教官が赴任して来た。
その栗林は剣道四段で、当時の年齢は27歳であっただろうか?
N体大の剣道部出身であった栗林は、彼の高校に赴任すると、そのまま剣道部の監督に就任した。

栗林の人相は、つり目で公家顔。
小柄で腹がせせり出た小太りだったが、その脂肪の内側には筋肉が凝縮された馬力のある男だった。
掛かり稽古では、物凄いぶちかまし(体当たり)を部員たちに喰らわせ、皆、吹っ飛ばされた。

また栗林は大酒飲みで、体育教官室には酒を持ち込んでおり、部活の指導が終わると、そのままそこで、浴びる様に毎日酒を呑み続けるのであった。
そして栗林は酒癖が悪く、酔っぱらうと手に負えない暴れぶりも晒していた。

ある日、部活帰りの駅前で、酔っぱらった栗林が駅前でタムロしてた暴走族に絡んでいたのを見かけた。
栗林は自分が教師だという立場も忘れて、暴走族の集団に罵声を浴びせていた。

「うるせぇんだよぉッ!、このヤロウ~ッ!」
族のリーダー格が、絡む栗林にキレた。

すると栗林は、「んだとぉッ!、このガキやぁぁ~ッ!」と怒鳴り、そのキレたリーダーのメットを引き剝がした。
そして、その奪ったメットを地面に思いっきり叩きつけるのであった。

ガーーーンンッッ……!

叩きつけられたメットは、そのまま数十メートル、アスファルトの上をコロコロと転がって行く。
ヤバイ奴だと悟った暴走族は、そのまま急いでその場から退散して行くのであった。

彼はその状況を同学年の剣道部員たちと、一部始終目撃していた。
「やべぇやつが顧問になっちまったなぁ…」
部員の誰かがそう言った。

 やつが剣道部の監督に就任して数ヶ月。
栗林が本性を現し始める。

掛かり稽古になると、まるで自分のストレスを発散するかの如く、指導とはとても言えない行動に出る。
シゴキとかそういうレベルではない、栗林との稽古は上達するどころか、ただやつのリンチを毎日受け続ける様な状態であった。



そんきょの構えから栗林は立ち上がらず、そのまましゃがんだ状態で竹刀を構え、「打って来い!」と言う。
そして生徒が打とうとすると、下から栗林が胴と面の隙間目がけて突きを放って来るのであった。

部員たちは危なくて打ち込めなかった。
すると栗林はキレ出し、角材を持ち出すと、部員たちの防具の無い箇所を目がけて、その角材が折れるまで殴り続けた。

彼らの腕や太ももは、その攻撃で黒いコブがいくつも出来るのであった。
コブと言ったのは、まるで力こぶを出した様な、大きさの膨らみとなった形の腫れが出来たからだ。

そのコブは真っ黒だった。
人間とは、あの様に拷問を受けて叩かれると、赤くなるとか紫色になるとかを通り越して、巨大な黒い血豆みたいな腫れが出来るのだと、彼はその時に知った。

学校内で泊まり込みをする合宿が、年に数回あったが、その時、風呂は近くの銭湯に行く。
その時、余りにも傷だらけの身体を見た番台のおばさんが、「あんたたち、一体、その身体、いったいどうしたの!?」と、よく驚かれていた。

毎年の夏には泊まり込みで、地方に合宿もした。
もうその時は、殺されるかも知れないという思いで、いつも身の回りの整理をしてから合宿に参加していたものであった。

そして合宿の度に、部員が夜逃げし、部員数は激減していった。
そんな、栗林から殴り続けられるだけの稽古から1年以上が経ち、上級生の引退と共に、新しい主将を決めるミーティングが部室で行われる事となった。

部員たちの間から、彼を新主将に推薦する声が上がった。
すると栗林は、嫌な表情で反対する。



栗林は宮本武蔵を崇拝していた。
やつは武蔵が残した五輪の書の兵法について講釈し出す。

それによると、彼の剣道スタイルは邪道であり、断じて認められないという。
実際、栗林は実力者であり、地元の剣道大会一般の部に出て、準優勝などしていた。
※部員への指導法は、めちゃくちゃであったが…

「だから俺は、アイツの剣道が大っ嫌いだぁッ!」
大人げないくらいの身振りで、栗林は彼の事を、まるで汚らわしい者を見る様な表情で叫んだ。

そして栗林は、彼の剣道のどこが気に入らないか、延々と部員たちに語り出す。
あんなヘナチョコ剣法だから、自分はまぐれで当てられてしまうのだと、栗林は部員たちに弁明する

「でも、せんせぇ…、真の実力者が相手であれば、そんなヘナチョコ剣法なら当たらないと思いますがね…」
栗林にイラついて来た彼が、そうポツリと言ってやった。

「なんだとぉ、テメェ~ッ!」
それを聞いた栗林は、鬼の形相になった。
怒ったやつは、口答えをした彼の胸倉を掴んだ。

「せんせぇ…、あなたも剣道家を名乗るなら、剣を使ってそれを証明したらどうです?」
胸倉を掴まれてる彼が、冷ややかな表情で静かに言う。

その言葉を聞いた栗林が「ん!?」という、表情をする。

「なんなら、互いに木刀使って、せんせーに証明して戴いても構いませんが…」
「但しそン時は、殺し合いになるでしょうがね…」

彼はそこまで言うと、ニヤリと笑みをした。

「面白れぇッッ!、道場に来いッ!」
彼の胸倉から手を離した栗林は、そう叫ぶとスッと踵を返し、体育館の中にある剣道場へ来いと彼に指図した。

剣道場に集合した栗林と部員たち。
さすがに木刀は危険すぎるという事で、栗林と彼は竹刀を使って対決する事になった。

ニヤニヤする栗林。
それは試合という合法で、生意気な部員をリンチできる喜びからの笑みであった。

「そらぁッ!、掛かって来いッ!」
そう叫ぶ栗林だったが、例の如く、そんきょの姿勢から立ち上がらなかった。

栗林はしゃがんだ姿勢のまま、竹刀を突き立てた構えで、打ち込んで来た彼の喉を下から突き上げてやるつもりなのだ。

(またやってやがる…)
やつを見つめて中段に構える彼が呆れる。

剣道の試合を冒とくした様な、栗林の行為。
あれはいったい何なんだ…?

もしかしてN体大剣道部の伝統的な後輩イビリの作法なのだろうか…?
やつは自分も上級生に散々やられて来たから、逆らえない自分たちにも同じ様にやって、イビられた過去に仕返しをしているのだろうか…?

「ほらぁッ!、どうしたぁッ!?、掛かって来いいッッ!!」
彼が、正攻法で攻めて来ると思い込んでいる栗林が言う。
だが彼は、そんなタイプの人間じゃなかった。

(じゃあ、行かせてもらうぜ…)
彼は無言で思うと、右斜め前に飛び出した!

「いざッッ!」
そう言った彼は、右手一本で竹刀を水平に振り降ろしたッ!



ビシッッ!

栗林の側面に竹刀が当たった!

「ぐぁッ!」
やつが叫ぶ!

今の攻撃で、やつの鼓膜がやられたかも知れない。
だが構うものか、こちらは散々やつに殴られて来たのだから…ッ

側面を叩かれた栗林が、痛みで動きが止まる!
それを見た彼は、竹刀の中結を左手で上から素早く握る!



「キェェェ----ッ!」

ドスッッ!

「うげぇッ!」

彼の握った竹刀で、下から突き上げられた栗林が後ろにひっくり返った!
やつの面が、ズレて持ち上がる!

「せぇやぁぁーッ!、そぉりゃぁーーーッ!」
彼が仰向けに倒れてる栗林を、ドスドスと上から連続で胸突きする!

手を着いて、必死に身体を起こす栗林。

「キェェェ----ッ!」



ドスッッ!

再び彼に突きを喰らった栗林が、再度ひっくり返る!

「せぇやぁぁーッ!、そぉりゃぁーーーッ!」
彼に上からバシバシ引っ叩かれる栗林。

その状況を見ていた、他の部活の体育教官たちが止めに入った。

「バカやめろッ!、お前、何やってるんだぁッ!」
彼は、そう叫ぶ他の体育教師たちに押さえつけられる。

攻撃を止める彼。
はぁはぁ…と、肩で息をする彼は、仰向けに倒れている栗林を見下ろす。

(まったく…、いつも俺たちがコイツ(栗林)にやられてる時は、笑って見てるくせによ…)
彼は、止めに入った体育教師たちに、無言でそう思うのであった。




「…と、まぁ…、そんな事があったワケよ…」
話し終えた彼は、苦笑いでそう言った。

「高校退学になんなかったのぉ~!?」
ルイが驚きながら聞く。

「互いが同意して始めた、あくまで剣道場での試合だからな…、だから大丈夫だった(笑)」
「それに、教師の方がいつも暴力行為をしてたんだから、揉め事になりゃ、向こうの方がバツが悪いってコト…」(彼)

「その後は、どうなったのぉ!?」(ルイ)

「それ以来、やつは大人しくなったよ(笑)、特に俺に対してはな…」
「だがやつは、俺の事が気に入らないワケだ…。そこでやつは、どうしたと思う?」

彼がそう聞くとルイは、首を傾げて「分からない?」という仕草をする。

「やつは、俺のクラスの体育の授業の教師でもあったんだよ。普通、部活をやってる者は、体育の成績は5を貰えるんだが、やつはいつも、俺には4しか付けてなかった」
「そしたらそれから4が3に下げられてた(笑)」(彼)

「アハハ…!、それって、職権乱用ってやつじゃない!?」(ルイ)

「笑い事じゃねぇよ。お陰て評定平均値が3.8に下がっちまって、志望してた大学の推薦枠から外されちゃったんだからよ」
「それで大学受験は浪人する事になったんだから…」(彼)

「後悔してる?」(ルイ)

「いいや…、ああいうやつは、誰かが分からせてやンねぇと、いつまでもああいった行為をするからな…」
「それにやられっぱなしで卒業したら、一生やつを恨んでたかもしれねぇから、あんときにスカッとして良かったよ」

彼は笑顔でそう言うと、「さぁ!、第3の秘密兵器を始めるぞ!」とルイへ続けて言った。

そしてルイは笑顔の彼を見て、「この人って、ほんと変わってるなぁ…」と、感心するのであった。

To Be Continued…





いつだって… H・A・G・S! 2話