命の期限 (夏詩の旅人2 リブート篇) | Tanaka-KOZOのブログ

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2006年9月上旬某日
東京の練馬区豊玉にある小さなリフォーム会社。
そこでカオリは事務員として働いていた。

カオリは現在28歳。
昨年離婚をしたばかりのシングルマザーであった。

母子家庭になった事で生活は苦しくなったが、持ち前の明るさで、カオリは息子のシンジと楽しい毎日を過ごしている。


時刻は17時半になった。

彼女はいつも通り、この日の仕事を終え、これから新中野にある保育所まで、3歳になる息子のシンジを車で迎えに行くのだ。


「おつかれさま~!、お先に失礼しま~す!」

カオリは、まだ事務所に残っていた同僚たちにそう挨拶をすると、自分の軽自動車が停めてある駐車場へと向かった。


「なんか嫌な空模様ねぇ…」
社外に出て駐車場へと歩くカオリが、今にも泣きだしそうな空を見上げて言った。

「さてと…、シンジのとこに向かうかぁ…」

そう言って軽自動車のエンジンをかけるカオリ。
エンジンがかかった車のラジオからは天気予報が流れていた。


「上空に強い寒気を伴った気圧の谷の接近に伴い、大気の状態が不安定となって、局地的に雨雲が発達しています。東京都心部では、発達した海沿いからの雨雲が通過中で、首都圏でも急な大雨となる恐れがあります」

「特に西東京エリアにお住いの皆さまは、急な強い雨や落雷に注意が必要です。雷鳴が聞こえたりしたら屋内に避難し、雨のピーク時間帯は無理な移動は控えてください」

「お天気情報は以上です…」


「なあんだぁ…、やっぱり雨が降るんだ…?」
カオリはそうボヤくと、ウインカーを点滅させ、環七通りへと向かうのであった。



同日の東京は練馬区の石神井台。

ここは現在スタジオミュージシャンとして活動しているギタリストのカズの自宅スタジオがある場所である。

この日、歌手の櫻井ジュンは、10月に行われる鎌倉国立大学の学園祭ライブについて、メンバー達と初めての打ち合わせを行っていた。

ジュンは18歳の誕生日と共に、1987年の8月にアイドル歌手としてデビューをした。
日本レコード大賞の新人賞を受賞し、ジュンは華々しくデビューの年を終えた。

 翌年88年では、念願のレコード大賞受賞と紅白の初出場も果たす。
そして更に翌年の89年には、2年連続でレコード大賞を受賞。
20歳になったジュンは、まさに絶頂期を迎える。



それから90年代の半ばまでは、誰でもカラオケで歌われる様な、国民的歌手として成功を収めるのであった。

しかし1999年、ジュンが30代を迎えた頃、アイドルでデビューしたジュンの人気は次第に衰退して行く。

それから2005年まで、ジュンはメディアにほとんど出る事はなく、長い低迷期を迎えるのだった。

ジュンに転機が訪れたのは、2005年の初夏であった。
自分で作詞作曲した楽曲を、プロになってから初めてシングルとしてリリースしたのだ。

その曲は、病に倒れたマネージャー、のぞみの為に書いたピアノの弾き語りバラードであった。

その曲は、その年、口コミで広がって行き空前の大ヒットとなった。
ジュンは見事な復活を果たすのであった。



そんな彼女の元に、音楽イベント会社“Unseen Light”の女社長、岬不二子から翌年2006年にオファーが入る。
それが今回の、鎌倉国立大学の学園祭ライブへの出演である。

デビュー前の学生時代に、学園祭の野外ステージで自分が作ったバラードを1曲だけ歌った彼女は、それがきっかけで今の音楽事務所へスカウトされた。

あの時のことを思い出したジュンは、自分のプロ活動の原点となった学園祭のライブを、あの頃のメンバー達とやってみたいと思った。

ギターにカズ、ベースには、バンドリーダーであったボーカルの彼にお願いして、ジュンはあの頃の3人と再び学園祭のライブステージへと上がる事となった。


 午後5時
その日の打ち合わせが終わった。

地下階段を上がり、地上に出た3人。
自宅スタジオ前でギターのカズが、2人に言う。

「じゃあな!、お疲れ!」(カズ)

「おう!、またな!」
今回はベースを担当する、バンド時代ボーカル兼リーダーだった彼もカズに言う。

カズの自宅前にある空き地に停めていた、自分の車に乗り込もとする彼が、その時、ふと気が付く。

「あれ?、ジュン…、のぞみ…」

つい、そう言ってしまった彼が、慌てて口をつぐむ。
ジュンは無言で彼を見つめて苦笑いする。

のぞみは、昨年の6月に急性白血病で亡くなっていた。
つまりジュンに車の迎えは現れない。

彼女が亡くなるまでは、いつも仲良く一緒にいたジュンとのぞみ。
あまりにも突然の死を迎えたのぞみに、今でも信じられない彼が、つい口走ってしまったその名前。

「悪い…」

彼がジュンにすまなそうに言った。
その彼に、ジュンは無言で、(いいのよ…)と伝える様に、顔を左右に振った。

「乗ってくか?」
そして彼はジュンに言った。



「いいの?」
そう言うと、そっと微笑むジュン。

「ああ…、送るよ…。それに、今にも降り出しそうな天気じゃないか…」

彼が笑顔でそう言う。
ジュンは隣のカズに軽く手を上げて挨拶すると、彼の車の助手席へと乗り込んだ。


「じゃあなカズ!」
サイドウィンドウを下げて彼が言う。

「おう!、またな!」
自宅前に立つカズがそう言うと、彼の車はウィンカーを点滅させながら発進した。


「ふふふ…」
助手席のジュンが含み笑い。

「どうした?」
何を笑っている?という感じで、ハンドルを握る彼が聞いた。

「なんか懐かしいなって思って…、あなたの運転する車に乗るのって、あなたがまだ免許取り立てで、私が高校生だった頃じゃない?」

正面を向いてジュンが話し出す。

「そうだったな…」と彼。

「あのとき、みんなに内緒で、2人で江ノ島に行ったんだよね?(笑)」(ジュン)

「お前は、みんなにしっかりバラしてたみたいだがな…」
無表情で運転する彼が言う。

「ははは…、バレてたの?(笑)」(ジュン)

「ああ…」(彼)

「ねぇ…、もう高速(道路)で走れる様になったの?(笑)」(ジュン)

「あったり前だろッ!、あれから何年経つと思ってんだ!」(彼)

「あははは!、そうか…、そうだよね…?」(ジュン)

「ところで、どっちに行けばよい?、お前、今どこに住んでんだ?」(彼)

「目黒…、祐天寺のマンションに住んでる…」(ジュン)

「ほぇ~…、さすがは一流芸能人だな?、大したもんだ…」(彼)

「そんな事ないよ…」(含み笑いのジュン)

「近くに、誰か芸能人は住んでるのか?」(彼)



「タモさんとか、近所ね…」(ジュン)

「へぇ~ッ!、お前とずいぶん差をつけられちゃったなぁ~…」(彼)

「やめて、そんな言い方…、私は何も変わってないわ」(ジュン)

「へいへい…」
不承不承と彼が言う。

「じゃあ環七を、ひたすら突っ走ってけば良いな?」(彼)

「そうね…、玉川通りを越えたら、その先の下馬通りを左に入って…、近くに来たら教えるよ」(ジュン)

「分かった…。あれ?、降ってきたな…やっぱ…」

彼がそう言うと、フロントガラスに大きな雨粒がポタポタと当たり出した。

「ほんとだ…」
左手で頬杖を付くジュン。



ジュンはその雨粒を見つめながら、亡くなったマネージャーの、のぞみの事を思い出すのであった。


 2005年4月中旬
この日は強い雨が降りしきる、春の日であった。

アカシックレコード本社ビル30F 第1会議室

「ふむ~~……」
社長の宝田は、険しい表情で資料を見つめながら、大きくため息をついた。

「社長…、申し訳ありません…」
40代後半辺りの女性社員が、社長の宝田にそう言った。

女性の名は時田加奈子。
18年前に、ジュンをスカウトした女性で、現在は会社のナンバー2にまで上り詰めていた。

会議室には、ジュンとのぞみも同席していた。
2人は宝田社長のため息を聞いて、しおれていた。

ジュンは4月初旬に新曲をリリースしたばかりであった。
しかしジュンの歌は、メディアで、まったく話題にもならず、売り上げは低迷していた。


「時田…、お前、今回ウチがどれだけカネを使ったと思ってる?」
宝田が時田へ、静かな口調で言う。

「申し訳ありません…」
時田は社長の言葉に、ただ謝る事しか出来ないでいた。

「お前が、これならジュンが再ブレイクする事、間違いなし!と、断言したから私はそれに従った…」

「大物の作詞家や作曲家を使い、大がかりなプロモーションもやった…。なのに何だ?、このザマは?」

「すみません!、全て私の責任です!」(時田)

「どう責任を取るつもりだ?」(宝田)

「クビにしていただいても構いませんが、それでは、責任を果たしたとは言えません!、取り合えず今後の私の給料と賞与の90%を、全てカットしていただいても構いません!」(時田)

「ちょっと待って下さいッ!、悪いのは私ですッ!、時田さんのせいじゃありません!、私の力不足のせいなんですッ!」

ジュンが2人の会話に割って入る。

「いいえッ!、ジュンちゃんの歌が売れてないのは、マネージャーである、私のせいですッ!」(のぞみ)

「のぞみは、黙っててッ!」
ジュンが、のぞみに振り返り言う。

「そうだ!、藤田(のぞみ)は、引っこんでなさいッ!」
社長にもそう云われたのぞみは、シュンと黙ってしまった。

「時田…、君には感謝している。君が連れて来てくれたジュンのお陰で、我が社が、ここまで大きくなる事ができたんだからな…」

社長の言葉を時田は黙って聞いている。

「だがな…、ここ5年間においては、ジュンの活動資金は常にマイナスだ。いくら今までの恩恵があったとしても、それも限界があるぞ」

「ジュン!、次の君との契約更新のときは、覚悟しておくようにな!」

社長の宝田が、ジュンに冷たく言い放つ。
その言葉にジュンは、「はい…」と小さな声で言うと、うなだれた。

「すみません!、こうなった原因は…、失礼ですが、社長にもあったと私は思いますッ!」

のぞみが、再び割って入って言った。
隣のジュンが驚いてのぞみに振り返る。

「なんだと…?、私の…?」
宝田がのぞみをギロリと睨む。

「わ…ッ、わたし、以前、言いましたよねッ!?、アイドル歌手だけのアプローチでは、いつか必ず限界が来るからって…ッ!」

「アーティスト的なアプローチも考えて行かないとって!、今のうちにマンネリ化を打破しなきゃダメだって…!」

社長の圧力に負けまいと、必死に喰い下がるのぞみ。


そうなのだ。
実はのぞみは、1992年の時点でジュンの今後を危惧していたのだった。

会議で、ジャズやサルサなど、変わったアプローチをしてみたらどうか?と進言したが、そのアイデアは却下されたのであった。

案の定、その年を境に、ジュンの歌はどんどん売り上げが落ち込む事となった。


「お前の様な素人が、分かった様な事を言うんじゃない!、ジュンはデビューからずっとこのスタイルでやって成功して来たんだぞ!」

「何で上手く行ってる時に、わざわざスタイルを変えて売り出さなきゃならん!、そんなことしたら株主は怒り出すぞ!、これはビジネスなんだ!、遊びじゃないんだぞ!」

のぞみにそう怒鳴る、宝田社長。

「分かってます…。でも、ずっと同じじゃマンネリ化して来ます。それじゃダメなんです…」

「上手く行ってる時に、やり方を変えるのはすごく勇気のいる事だと思います。でも、逆に上手く行ってる時だからこそ、次の一手を考えて行かなければダメなんです…」

宝田を真っ直ぐ見つめながら、のぞみは言い続けた。

「お前…、マネージャーごときが、何を私に言ってる?」(宝田)

「分かりましたッ!、社長ッ!、私が死に物狂いで頑張りますから!、契約更新の事も覚悟してやり遂げますので、もう少し時間を下さい!」

のぞみと宝田の間に割って入ったジュンが、そう言った。


「それでは、失礼します…」

会議はそれから間もなく終わった。
ジュンとのぞみは、部屋に残る宝田と時田に、深々と頭を下げると会議室を後にした。

バタン…。

会議室のドアが閉まる。
それを見つめる社長の宝田が重い口を開く。

「時田…」(宝田)

「は…、はい?」(時田)

「ジュンはもうダメかも知れんな…」

宝田の言葉に、何も返せない時田は、ただ黙って立ち尽くしているのであった。




「うッ…、ううッ…」

会議室を出て歩き出したジュンが、悔しさに目を潤ませる。

「ジュンちゃん泣かないで…」
顔を覗き込みながら、のぞみがジュンに言う。

「泣いてなんか無いわよ…。なによあなた年下のくせに…」(ジュン)

「ふふ…、ジュンちゃん、まかしといて!、あたしがバンバン仕事を取って来てあげるからさ…」

いたずらな笑みで、のぞみがジュンに言った。

「どうやって…?」(ジュン)

「私がもっともっと、もぉ~と働けば良いってコトよッ♪」(のぞみ)

「あなたって、いつも前向きね…、羨ましいわ…」
ヤレヤレとジュンが言う。

「だからジュンちゃんも、負けちゃダメだよ!」(のぞみ)

「分かってる…。ありがとうね、のぞみ…」
ジュンがそう言って微笑むと、のぞみは「えへへ…」と笑みを浮かべるのであった。


 それから10日後
アカシックレコード音楽事務所本社ビル

「あれ!?、時田さん。のぞみは?」
のぞみが会社に来ていないのに気が付いたジュンは、上司の時田加奈子に聞いた。

「あのコ、今日、ちょっと病院に寄ってから来るって…」
時田がジュンに応える。

「病院…?」
ジュンが聞き返す。

「ええ…、なんか以前から身体が重だるくて調子悪かったんだって。だから今日は検査するみたいよ」(時田)

「そうですか…」

そう言えば昨年辺りから、のぞみはよくその様な事を言っていたのをジュンは思い出す。

ジュンとのぞみは、今回の新曲を何としてもヒットさせたかった。
あの社長との会議のあくる日から、2人は二人三脚で夜遅くまでSPの対策法を練りながら動いていた。

だから、ここでのぞみが抜けるのは非常に厳しい状態となる。
のぞみの体調がすぐ回復してくれる事をジュンは願うのだった。

のぞみ大丈夫かなぁ…?、あのコ頑張り過ぎちゃうトコあるから…。

そう思うジュンは、昨夜の事を思い出す。


「のぞみ~!、いつまで仕事してんの!、もう帰りましょう」
時刻が23時になっても帰ろうとしない、のぞみにジュンが声をかける。

「う…、うん…」(のぞみ)

「どうしたの?」(ジュン)

「ジュンちゃん、今日は悪いんだけどタクシー拾って帰って貰える?」(のぞみ)

「良いけど…、どうしたの…?」(ジュン)

「今夜は、これから人と会う約束があるの…。あっ!、仕事じゃないよ!、プライベートだからご心配なく!」(のぞみ)

「こんな時間からぁ~?」(ジュン)

「うん…、この時間からじゃないと会えない友達で…」(のぞみ)

「分かった…。じゃあ先に帰るね。お疲れ様ぁ~!」

ジュンはそう言うと、オフィスから出て行くのであった。
ジュンが出て行くのを確認したのぞみが、急にうずくまる。

はぁはぁはぁ…。

額には冷や汗をかいている。

(おかしい?…、どうしちゃったんだろう私の身体…?)
(具合が悪くて、とてもジュンちゃんの家まで運転できないわ…)

(もう!、今が1番大事な時だっていうのにッ!)
(ここでジュンちゃんを1人置いて、私が抜けるワケにはいかないわ!)

(でも苦しい…)

「うう…ッ、はぁはぁはぁ…」

(仕方ない…、明日は病院に寄って、ちょっと診てもらうしかないわね…)

そう思ったのぞみは、自分も今夜はタクシーを呼んで家に帰る事にするのであった。



「どうしたジュン?…、考え事か…?」
当時の出来事を思い出していたジュンを、運転している彼が現在に呼び戻した。

「あ…!ゴメン!、別に…」
慌ててジュンが彼に向いて言う。

フロントガラスに吹き付ける激しい雨は、先程よりも更に激しくなっていた。
ワイパーが素早く振れている。

「のぞみの事か…?」
運転する彼が正面を向きながらボソッと言った。

「え?」(ジュン)

「思い出してたんだろ…?、のぞみの事…」
彼が続けてそう言うと、ジュンは黙って頷いた。

バシュッ、バシュッ、バシュッ…。

ワイパーが拭っても拭っても、フロントガラスに叩きつけられる雨粒。
その音が車の中に繰り返し続く。

「ねぇ、こーくん…。私はある意味、のぞみのお陰でヒット曲が作れて、こうして今でもこの世界でやっていけている…」
「まるで、あのコの命と引き換えに、あのバラードが生まれた様なものなの…」

「ねぇ、教えて…?、これで良かったの!?、私はのぞみが生きてくれさえすれば、ヒット曲なんて別に要らなかった!」

「私はあの時、ただ彼女を安心させてあげたかった…。あのコが生きているうちに、私の出来る事は曲を書くしかなかったの!」

「のぞみがいつ死んでしまうか分からない状態だと、いきなり知らされて…、私はどうすれば良いのか?、分からなかった!」

「あの時、私はとにかく時間が欲しかった…。のぞみと別れるなんて嫌だった!、もっともっと時間が欲しかったの…ッ!」

堰を切った様に喋り続けるジュンに、彼が静かに言う。

「ジュン…、あれで良かったんだ…。仕方ないんだよ…」
運転する彼が正面を向いて隣のジュンにそう言った。

「仕方ない…?」(ジュン)

「のぞみが亡くなったのは、君のせいじゃない…。それに、ああいう状況になれば、誰だって動揺して取り乱すものだ…」

「ジュン…、人はな…、命の期限を知ったとき、1日が24時間ではとても足りないんだと、初めて気が付かされるんだよ…」

彼の話を黙って聞いているジュン。

「君はその限られた時間の中で、彼女に対して精一杯応えたと俺は思ってる…」

「だから、前を見て進め…。のぞみの事は忘れる必要は無い…、その想いを胸に秘めて、お前はこれからも歌い続けるんだ…」

彼の言葉に目頭が熱くなったジュンは、こぼれ落ちそうな涙を流すまいと、き然とした表情で顔を上げるのだった。


 環七通り

シングルマザーのカオリは、息子のシンジを迎えに、新中野の保育所へ車で向かっていた。

雨は激しい土砂降りとなっていた。
いわゆる、“バケツをひっくり返した様な雨”という降りであった。
激しい雨のせいで、走行する車両らは徐行運転となり、環七通りは渋滞となっていた。

ザーーーーーーーーーーーッ!

「ひゃあ!、前が全然見えないわ!」
そう言ったカオリの運転する軽のフロントガラスには、ワイパーが激しく左右に振れている。

「ああ…、もう、間に合わないじゃない…」

ハンドルを握るカオリは、保育所の迎えに遅れると発生する延長料金の心配をしながらイライラするのだった。
そして徐行運転をするカオリは、数十m先の電光掲示板に気が付く。



「え~!、“冠水注意”~ッ!?」

カオリが見る前方では、左側へ迂回する車の列が確認できた。
この先の「アンダーパス(立体交差)」が、どうやら通行止めになったばかりの様だった。

「もお~…ッ!、ついてないなぁ…」

運転するカオリがそうぼやく。
目の前のアンダーパスはガラガラで、すぐにでも抜けられそうな雰囲気であった。

「あれ!?」(カオリ)

その時、カオリの前を走るダンプが迂回せずに直進した。
ダンプはアンダーパスをそのまま下って行く。

「そうよね?、今、大降りになったばかりなのに、大げさなのよ…」
「どうしよっかなぁ…。ええい!、行っちゃぇ~!」

カオリはそう言うと、ダンプの後をついて行った。

アンダーパスに入ったカオリ。
中には外から流れ落ちる雨水が大量に流れ込んで来ており、パスの中央付近では既に水が溜まっているのが見えた。

目の前のダンプがスピードを落とす。
ダンプはゆっくりと水たまりの中へ入った。

ザブ…。

ダンプのタイヤの半分程が水に浸かった。

ブロン…、ブロン…。

ブロロロロ……。

ダンプは難なく水溜まりを通過して行った。

「大丈夫…、まだ水深は浅い様ね…」
カオリはそう言うと、自分も水溜まりの中へと入って行った。



ザブ…。

ブロロロ……、プスンッ!

「あれ…!?」
カオリの乗る軽が、パスの中央部で停止した。

「やばい、やばい!、エンジンに水が入って止まっちゃったんだわッ!」
「ああ…、もお~、どうしよう…!?、これじゃ絶対間に合わないわ…」

カオリはそう言うと、バッグから携帯を取り出した。

ピッ、ピッ、ピッ…。

発信履歴から急いで保育所へダイヤルするカオリ。

ツツツ…ッ、プップップップッ…、プルルルル…、プルルルル…。

携帯がコールする。
その時、カオリが驚いた!

「えッ!?」

カオリの足元から、外の水が浸水して来たのだ。
同時に、保育所の電話がつながる!

「あ!、もしもしッ!岡本です!…、いつもお世話になっております…」
足元の浸水を気にしながら、カオリは保育所の人と話し出す。

「申し訳ございません…、車のトラブルでシンジの迎えが遅れてしまいそうなので、お電話いたしました」
「はい…、はい…、申し訳ありません…、なるべく早く行けるように致します。宜しくお願いします。はい…、それでは…」

「ふぅ~…」

電話を切ったカオリがため息をつく。
浸水はカオリの足首まで進んでいた。

「まいったなぁ~…。こういう時はJAFでレッカー…?、それとも消防署(レスキュー)かな…?

どこへ電話を掛けようと考えたカオリ。
その時、車の後部がいきなり持ち上がった!

「わッ!」

ポチャン…!

驚いてバランスを崩したカオリは、携帯電話を足元に落としてしまった。

「ヤバッ!」
慌てて水没した携帯を拾うカオリ。

「あ~!、もお!、最悪~!」

水没した携帯が通話可能かを確認したカオリが、そう言った。
携帯電話は水没した事で、使えなくなってしまったのだ。

「取り合えず外に出なきゃ…」
そう言ってドアのレバーを引くカオリ。

「あれッ!?…、あれッ!?、あれッ!?」
いくらドアを押しても開かない事に驚くカオリ。

「そうだ!、窓から…」
ドアが開かないと分かったカオリは、次にパワーウィンドウのボタンを押す!

「ええッ!、動かない…!、そっか電気系統がイカレテるから開かないんだ…」
そう言ったカオリの足元の水は、もう膝下まで上がって来ていた!

「ちょっとヤダァッ!」

バンッ!と、思いっきり窓を叩くカオリ。
だが窓はビクともしない。


解説しよう。
車が水没した時、ドアが開けられるタイムリミットは、後輪が浮くまでとされている。
水没した車への浸水が進むと、エンジンの重さで前輪側は浮かず、後輪側が浮く。

後輪が浮いた瞬間、水深に関わらず車のドアは外からの水圧でまったく開かなくなるのだ。

そして昨今の車は、窓ガラスの開閉はパワーウィンドウである。
水没してエンジンが止まった瞬間、窓からの脱出は不可能となる。
なぜならば、車の窓ガラスは人間が叩いたところで、割れるような強度ではないからだ。


「きゃぁ~!、イヤーッ!」
窓を激しく叩き続けるカオリ。

バンッ!、バンッ!、バンッ!

「誰か助けてぇぇぇ~~ッ!」
そう叫ぶカオリの声が、車内で虚しく響く。

誰も通らない、通行禁止のアンダーパス。
そこへどんどん流れ込む濁流の音と、激しい雨音が、カオリの叫び声をかき消してしまうのであった。


 その頃、ジュンの乗る車も環七通りに入っていた。
窓枠に左肘で頬杖を付くジュンが、彼に話し出す。

「ねぇ、こーくん…」(ジュン)

「あん…?」
ハンドルを握る彼が、間の抜けた声で返事する。

「“Unseen Light”の岬さんて、こーくんと知り合いだったの?」



今回の鎌大学祭ライブのオファーを自分にくれた、音楽イベント会社“Unseen Light”の女社長、岬不二子の事をジュンが尋ねる。

「不二子の事か?」(彼)

「何?、不二子って!?、馴れ馴れしく下の名前で呼んで…」(ジュンが嫌な顔をして言う)

「俺は、誰でも下の名で呼ぶじゃないか…」(彼)



「欧米かよ!?」(ジュン)

「ははは…!、タカアンドトシみてぇに言うなよ(笑)」(彼)

「あの女性(ひと)、きれいな人ね…?」(ジュン)

「そうだな…」(ジュン)

「仕事デキそうだし、大人っぽい雰囲気あるし…」(ジュン)

「そうだな…、仕事はデキるな…。齢はジュンと同じくらいじゃないか…、確か…?」(彼)

「私って高校出たらすぐ芸能界だったから、ああいうOLっぽい生活って送った事ないの…」(ジュン)

「そりゃそうだろぉ!(笑)」(彼)

「こーくんは、大学出てから最初は会社員になったよね?、やっぱ、ああいうスーツの似合うOLって好きなんでしょ?」(ジュン)

「前にも言ったが、俺が好きなのは、“ワンレン・ボディコン”だよ(笑)」(彼)

「もお!、茶化さないで!、それっていつの時代のハナシよ!、それに、それは嘘だって言ってたじゃない!」
学生時代に交わしたやり取りを、思い出すジュンが言う。

「不二子とは古い付き合いだ。彼女が今の会社を立ち上げたばかりの時で、不二子がまだ20代だった頃だからな…」(彼)

「よく一緒に仕事するの?」(ジュン)

「そんな事はないな…、ほんの数回…。今回だって、結構久しぶりに会うんだぜ」(彼)

「それで、“不二子”なんて呼び捨てですかぁ!?」(嫌味を込めて言うジュン)

「俺、欧米だから…(笑)」(彼)

「ばかッ!、どうせまた、人の好い顔して、チョッカイ出したんでしょ!?」(ジュン)

「何だよそらぁ?、俺がいつそんな事したよ?」(彼)

「私がデビューしたての大晦日…。池袋のカウントダウンパーティーでナンパやってたの見たじゃない!」(ジュン)

「だからあれは、あんときも説明したけど、俺の為のナンパじゃねぇって!」
彼はジュンの方を振り返り弁明した。

「あ!、こーくん…」
その時、ジュンが目の前を指して言う。

「何だよ!?」
まったくオンナは、いつまでも古いハナシを持ち出しやがって…と、彼が思いながら言う。

「ここ進んじゃダメみたい…」
正面を指しながら言うジュン。

「はあい!?」(彼)
それと同時に、彼の運転する車は、アンダーパスを下る。



「今、冠水注意の警報出てた…。迂回しなきゃ…」
彼がよそ見をしてる時に、電光掲示板の警報を見たジュンが言った。

「なぬ~~~~~~~ッ!?、遅せぇよ!ばかぁ~~ッ!」

彼の車がパスの中央付近で急停車。
止まった目の前には、大きな水溜りが出来ていた。

「まったく…ッ!、お前がヘンなコト言うからだぞぉ!」
そう言って彼は、車をバックさせるのであった。


 その頃、水没した軽自動車に閉じ込められているカオリ。
車の中の水位は、カオリの胸まで上がって来ていた。



(神様…、お願いしますッ!、どうか助けて下さいッ!、私はまだ死ぬわけにはいかないんですッ!)
(せめてシンジが…、ハタチ…、いや…、高校卒業する迄でも構いませんッ!、それまでは、私の命を持って行かないで下さいッ!、お願いしますッ!)

死へのカウントダウンが始まったカオリは、今、生まれて初めて神様へ真剣にお願いをするのであった。


「ねぇ、こーくん、あれ見て…」
車をバックさせる彼にジュンが正面を指して言う。

「あ?」(彼)

「ほら、あれ…、車が沈んでる…」
カオリが閉じ込められている軽に、気が付いたジュンが言った。

「行けると思って動けなくなったんで、乗り捨てたんじゃねぇの?」
彼が遠くから見えたカオリの軽は、車の屋根と窓の間を30cmほど残して浮いていた。

「さぁ、早くここから抜け出すぞ…」
彼がそう言って再びバックをしようとすると、ジュンがイキナリ叫んだ!

「ちょっと待ってッ!、こーくんッ!、あの車の中に、まだ人がいるッ!」(前方に沈んでいる軽に向かって言うジュン)

「何だとッ!?」(振り返る彼)

「ほら…、見て…、乗ってるでしょぉ…?」
怯えた表情でジュンが彼に言う。

「マジかよ…!」
それを見て険しい表情の彼。

「ねぇ…、何であの人、逃げないの?」(ガタガタ震えるジュン)

「きっと水圧でドアが開けられないんだ」(彼)

「窓から出られないの!?」(ジュン)

「車がイカレちゃって、パワーウィンドウが動かないんだ…」(蒼ざめた表情の彼)

「じゃあ、どうなっちゃうの!?」(ジュン)

「このままじゃ溺死する!」(彼)

「大変!、レスキューに電話しなきゃッ!」(ジュン)

「ばかッ!、そんな時間ねぇッ!、間に合わねぇよッ!」(彼)

「じゃあどうするの…?」
ガタガタ震えながらジュンが聞く。

「俺が助け出す…。ジュン…、そのスカーフを貸してくれ…」
ジュンが首に巻くスカーフを貸せと彼が言う。

「どうする気…?」
スカーフをスルスルと解くジュン。

「おい、小銭あるか?」
ジュンにそう言った彼は、ヒップポケットから財布を出して、中の小銭を広げたスカーフの中に入れた。

「小銭…ッ!?」(ジュンが聞き返す)

「そうだ早くッ!」
彼がそう言うと、ジュンはバッグの中から財布を取り出し、小銭をスカーフの中に全部入れた。

「これじゃ少ないな…」
彼がスカーフで、てるてる坊主の様な形を作って言った。

「何をする気なの?」(ジュン)

「昔TVで観た事あってな…、ダッシュボードの中に10円玉を大量に入れたポリ袋を持ってた人が、それをハンマー代わりにして、車の窓をぶち破って脱出したのをさ…」

「だがこれじゃ少なすぎる…、もっと何かないか!?、家の鍵とか、貴金属とかよ!」

彼が、自分の家のキーケースをスカーフに乗せながら言う。
ジュンはイヤリングや腕時計を外し、更に何かないかとポーチを広げて探す!

「それもだ…ッ!」
ポーチから見えた安物のシルバーのリングを見た彼が、それも渡せと言う。

「これはダメッッ!!」
慌てて拒絶するジュン。

「こんなの、今のお前なら、もっと高級なやつが幾らでも買えるだろ…」(彼)

「これはダメ…」

ジュンが弱々しく懇願する。
その行動に、“???”の彼。

「覚えてないの…?」

寂しそうな表情でそう言ったジュン。
彼は無言で考える。

「あッ!、お前、まだそんなもの持ってたのかぁッ!?」(思い出す彼)

「そうよッ!、イケないッ!?」

そう言ったジュンが渡したくない、そのリングは、彼女が高校生だった頃、彼がジュンから貰った自分の誕生日プレゼントのお返しにと、彼女に買ったシルバーのリングであった。

あの当時、バイト帰りの夜のセンター街の露店で買った、シルバーのリングであったのだ。(※正確に言うと、強引に買わされました 笑 )
※旅立ち 4話「夏の到来」参照



「分かった…、それはいいよ…。じゃあ行って来る…」
彼はそう言うと車から出た。

「気をつけてね、こーくん…」
不安な表情のジュンが言う。

ジュンが見守る彼は、水の中へザブザブと入って行った。



※臨場感が出るので、聴きながら読んでみましょう。

「おい!、大丈夫かぁッ!?」
水没しているカオリの軽にたどり着いた彼が言う。
水溜りは彼の胸下まで上がって来ていた。

「助けてぇッ!、助けてぇッ!」
車内に閉じ込められているカオリが、中から窓をバンバン叩く。
彼女は既に、首元まで水に浸かっていた。

「(ドアの)ロックは解除してるな?」
彼がそう聞くと、カオリは大きく何回も頷いた。

ガチャ…ッ、ガチャ、ガチャ…。

「くそう~…、やっぱ開かねぇかぁ…」
彼は軽のドアを開けようとたが、やはりダメだった。

「よし!、今からサイドガラスを割って救出する!、危ないから反対側を向いて出来るだけ離れてくれ…」
彼がそう言うと、カオリは無言で頷き、言われた通りにする。

「そらぁッ!」
彼は先程の、ジュンのスカーフで作った、てるてる坊主を勢いよく窓ガラスに叩きつけた!

ザブッ、バシッ!

一度水の中に入ってから、窓ガラスに当たるハンマー。
しかし、窓ガラスはビクともしない。

「くそッ!」

ザブッ、バシッ!

再びハンマーを叩きつけた彼。
だがやっぱり窓ガラスを割る事が出来ない。

(やはりこれっぽっちのコインじゃ割るのは無理なのか…)
そう思う彼は、それから何度もハンマーで窓ガラスを叩く。

ザブッ、バシッ!

ザブッ、バシッ!

「くっそ…!、なんで割れねぇんだぁ…?」
彼がそう言ってる間にも、車内の水かさはどんどん高くなっていく…。

ドーーーーーーーーーーーー…ッ (※次々と濁流がアンダーパスへと流れ込む音)

「うッ…、うう…、ありがとうございます…。もう結構です…」
車内のカオリが涙を流しながら彼に言う。

「ばかやろうッ!、諦めるなぁッ!、諦めた瞬間、そこにはもう死ぬしか道がねぇって事になんだぞッ!」

彼がカオリにそう言うが、諦めのついたカオリは、言葉を詰まらせながら嗚咽をするのであった。

「くそッ!、くそッ!、開けぇぇーーーッ!、くそッ!」

彼が、再び車のドアに手を掛けて叫ぶ。
軽のボディに左足を掛けて踏ん張り、後ろへ思いっきり仰け反ってドアを引く!

「くそッ!、くそッ!、開けぇぇ~~~~ッ!」
外で懸命にドアを引く彼の姿を横目に、カオリは覚悟した。

(シンジ…、ごめんねぇ…、あなたを独りぼっちにさせてしまうママの事、許してね…)

(ママはもうあなたを抱きしめてあげる事が出来ないわ…。ママがいなくなっても、良い子にして、立派な大人になって頂戴ね…)

カオリは息子のシンジへ、最後の想いを願った。

「くそッ!、くそッ!、開けぇぇーーーッ!、くそッ!」(彼)

「こーくん…」
遠巻きから彼を見つめるジュンが、囁くような声で言う。



(シンジ…、さようなら…、ママはいつも天国からシンジの事…)

「あぅッ!」(カオリ)

ザブッ…。

次の瞬間、軽自動車がついに水没した!
その光景に、ジュンは両手で口を塞ぎ、言葉を呑み込む!

プクブクブク…。

水面から泡が浮かぶ。

「くそぉぉぉーーーッ!!」
車のドアから手を離さない、彼が叫ぶ!

ガチャッ!、ガチャッ!…。

水に沈んだ軽のドアを懸命に引く彼。

ガバッ!

その時、あれほど開かなかった車のドアが、突然開いた!

ザバッ!

ドアが開くと同時に、彼が水面に潜った!

「こーくんッ!」

それを見たジュンが驚いて叫ぶ!
固まるジュンが見つめる水面。

ザバッ!

数秒後、潜った彼が水面から顔を出した!

ゲホッゲホッゲホッ…。

彼の肩に腕を絡ませ引き上げられた、カオリがむせ返っている。

「こーくん…」
涙目のジュンは、彼が無事だと確認してホッとする。
僅か数秒の出来事だったが、ジュンにはとても長く感じられた一瞬の出来事であった。

はぁはぁはぁ…。

水が無い場所まで引き上げられたカオリが、ぐったりして四つん這いになりながら肩で息をする。

「アンタ…、危なかったな…?」
ずぶ濡れの彼が笑顔でカオリに言う。

「あ…、ありがとう…、ううッ…、ふぅううう…ッ」
カオリがうつむきながら、彼に泣きながら感謝した。

※解説をしよう
水没した車はドアが開かないと先程申したが、実は車内の空気が無くなると、内圧と外圧の差がなくなり、ドアを開ける事が出来るのだ。
いやぁ、いつもながらこの小説は、ホントためになりますね(笑)
みなさんも車が水没した時には、覚えておくと良いでしょう(笑) ← てか、落ちるか?


「ジュン!、救急車だ!」(ジュンに指示する彼)

「分かったわ!」(ジュン)

「はぁはぁ…、待って下さいッ!」
突然そう叫んだカオリに、2人は振り返る。

「待って下さい…。私は何ともありません…、大丈夫です…」
肩で息をしながら静かに語るカオリを、彼とジュンは黙って見つめる。

「私…、子供を迎えに行く途中だったんです…。保育所に…」
「だ…、だから早く子供のところに行かないと…、すいません…」

そうカオリの説明を聞いた彼は、彼女に微笑みながら言う。

「そうだったのか…。そうだよな…?」
「へぇ…、アンタ…、まだ若さそうだけど、立派に母親やってンだな…?」

「え…?」(彼に振り向くカオリ)

「自分が今、こんな目にあったてのに、それでもまだ子供が第一なんだからよ…(笑)」(彼)

「す…、すいません…」
カオリはそう言うと、はぁはぁ…と、地面に両手を着いたまま肩で息をする。

「いいぜ!、乗んな!」
彼が自分の車を指して言った。

「え?」(カオリ)

「子供が待ってンだろ?、アンタの車は動かない…、だから乗んな!、迎えに行こう!」(笑顔の彼)

「でも私…、びしょ濡れで…、車を汚してしまいます…」(カオリ)

「構わねぇよ!、俺だってそうだ!、さぁ!、乗んな!、ナビゲートしてくれ!」
彼が笑顔でそう言うと、カオリは「すいません…」と言って、肩を震わせて泣いた。

「ジュン!、今日は家に着くのが少し遅れちまうが、構わねぇよな?」(彼)

「当たり前でしょ!」(ジュン)

「じゃあ、行こう…」
彼がそう言うと、隣のジュンが「ふふふ…」と含み笑いをした。

「何だよ?」(怪訝な顔でジュンにそう言う彼)



「やっぱりあなたって、変わんないわね…。ふふふ…」(ジュン)

「どういう意味だ?」(ムスッとする彼)

「ほめ言葉よ…(笑)」(ジュン)

「そうか…、なら良い…」
憮然として彼はそう言うと、車に乗り込んだ。


「さぁ!、案内してくれ!」
後部座席に座ったカオリに彼が言う。

そして車は出発した。
助手席のジュンは、運転する彼の横顔をニヤニヤと眺めている。

迂回してから再び環七に合流した車。

空はもう暗くなっていたが、あれほど激しく降っていたあの雨は、もうすっかり止んでいるのであった。


To be continued….