はるかなる波の呼び声 (夏詩の旅人2 リブート篇) | Tanaka-KOZOのブログ

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  2004年6月下旬

僕の車はR135号の見高浜トンネルを抜けると、今井荘の手前で回り込む様に左折した。

左折すると右側にすぐ海が見える。
そう、伊豆の今井浜海岸だ。



僕は、今夜泊まる民宿に向かって、ゆっくりと車を走らせた。
民宿の手前には、海岸に最も近い駐車場があった。

まだチェックインする時間まで30分程あったので、僕は車を停めて駐車場から海を眺めて見る事にした。
駐車場は見晴台の様になっており、そこから今井浜海岸が一望できた。

午后の海岸ではサーファーが数名、波乗りを楽しんでいる姿が確認できた。



 「ははははは…。イマちゃん、ちょっとそのロング貸してよ~!」
海から上がって来たハルカ(晴夏)が、砂浜で寝転んでいる男性に話しかける。

「ああ、構わないよ」
イマちゃんと呼ばれた男性がそう言うと、ハルカは自分のショートボードを砂浜に置き、彼の側にあったロングボードを抱えて海へと走って行った。



おでこを出して、ロングヘアーを後ろ髪に縛ったハルカが、海の手前で一旦止まる。

波の動きを見つめるハルカ、
彼女の額の水滴が、太陽に反射して光っている。

そして海に入るハルカ。
パドルをし、どんどん沖へと進む。



ブイの手前でパドルを止めたハルカは、その位置で良い波がやって来るのを待った。

波が来た!

ハルカはボードの向きを素早く変えると、その波を捕まえようと急いでパドルした。



ライド・オンするハルカ。
そしてテイク・オフ。

ハルカの立つロングボードが勢いよく進む。
そしてノーズ・ライドしようとするハルカが、ちょちょっとボードの先端に移動する。

先端に移動したハルカが、身体を大きく仰け反らせた。
見事なソウル・アーチを決めるハルカ。

「お~!」
「イナバウア~~~~!(笑)」
浜辺からハルカを眺めていた仲間たちが、歓声を上げる。



彼女がライドするその美しいフォームは、レジェンドサーファーのケンプ・オバーグか、はたまたデューイ・ウェーバーばりのソウル・アーチであった。


「すげぇ!すげぇ!」
海から上がって来たハルカを、拍手で迎える仲間たち。

「今年はイケそうだなハルカ?」
イマちゃんが彼女に言った。

「まだまだ…、こんなんじゃダメだよ。プロの道は狭き門だからね…」
ハルカがイマちゃんの隣に腰かけると、彼にそう応えた。



ハルカはプロサーファーを目指す26歳の女性だ。
今から3年前に、東京からこの今井浜へ、住み込みのバイトをしながらプロサーファーを目指していた。

日本国内でプロサーファーになるには、「JPSA」(日本プロサーフィン連盟)のプロテストに、合格しなければならない。

そのテストは、まずトライアルに参加して勝ち抜いて、本戦に出場する権利を手に入れなければならない。
そして、その本戦で好成績を収め、「JPSA」に認められると、初めてプロとして認定されるのである。

その合格率は5%を切る難関と云われ、毎年多くのプロを目指す者がチャレンジするものの、合格者がたった1名だけだったという事もある、非常に狭き門なのだ。


「じゃあ!、また明日の朝!」

本日のサーフィンを終えたハルカが仲間らにそう言うと、彼女はバイト先のレストラン、「Soul Half」へと向かって走って行った。


「きゃ~、ゴメ~ン店長~!遅れちゃったぁ~」
両手を合わせ、口ひげを生やした中年男性にそう謝るハルカ。

「早くシャワー浴びちゃいな!」
店長が彼女に笑いながら言う。

「うん!」
そう言うとハルカは、急いで店の奥へ入って行った。

「Soul Half」は、サーフショップとレストランが一緒になっているお店であった。
店長はサーフショップに居て、ハルカは隣のレストランでバイトをしているのだ。




シャワーを浴び終えたハルカが、エプロンをつけながら隣のレストランへ現れた。
レストランは、ちょうどでディナー営業が始まったところだった。

「悪い!悪い!…」
厨房の青年にそういうハルカ。

「いつもの事でしょ?」
苦笑いで青年が言った。

「ふんッ!」

何よ!、という感じで仕事につくハルカ。
幸いシーズン前という事で、店内にはまだ誰もお客は来ていなかった。

「シューヘイくん!、今夜のおススメは?」
ハルカが厨房の青年に聞く。

「キーマカレーだね」と青年。

「あっそ…」
そう言うとハルカは、手にマジックペンを持つ。



「これで良しと…」
ハルカがメニューボードに、「おススメ!キーマカレー」という文字を書いた。


ハルカの頭上には、天井のフライファンが、大きくゆっくりと回転していた。





 翌朝。
早朝の練習を終えたハルカが、サーフィン仲間たちとの日課である、ビーチ・クリーン活動をやっていた。

ビーチ・クリーン活動とは、要は海岸のゴミ拾いである。
夏が近づいて来るにしたがって、だんだん夜中にカップルが海岸へやって来る様になる。

すると海岸に来たカップルたちは、その時にドリンク缶やスナック菓子の袋などを海岸へ捨てて行くのだ。
それを地元の有志らが、砂浜に埋まったゴミを、まずはトラクターでかき出し、ハルカたちがそれを回収するのである。




「まったくもぉ~…、やんなっちゃうわね…。これじゃ海開きされた後が、思いやられるわ…」
40Lサイズの袋を手にし、ゴミを拾いながら、ぶつぶつ言うハルカ。

「ん?」
ゴミを拾うハルカの前方に、拾ったゴミを手にして、キョロキョロと捨てる場所を探している様な仕草をしてる男性が目に入った。

「見かけない顔ね…。旅行者かしら…?」
「でも、良いやつじゃん!、ゴミ拾ってくれて…」

そう言うとハルカは、「すいませ~ん」と言いながら、その男性の元へと駆け寄って行った。

 ハルカは、ゴミを持った男性のところに着くと、明るく微笑みながら「ゴミはこちらに捨ててください」と、手にした白い40Lサイズのビニール袋を男性に差し出した。

その男性は、ハルカよりも少しだけ年上の様な感じに見えた。
男性が袋の中へゴミをそこへ捨てると、「ありがとうございます。…地元の方じゃないですよね…?」と、ハルカがその男性に聞いた。

「ええ…。昨日、東京からここに…」
男性が言う。

「あっそ~なんですか!、私も東京から住み込みで来てるんですよ~」
ハルカは、自分と同じ東京の人間だと分かると、その男性に、つい気軽に話し掛けてしまった。

「サーフィンやってるんだ…?」
上半身はだけたウエットから、ラッシュガードを着ているハルカに向かって、その男性がそう聞いて来た。

「ええ…。それで朝のトレーニングが終わると、こうやって仲間たちと、昨日の海岸のゴミを拾ってるんです」とハルカが言う。

「トレーニング?」
ハルカが言ったその言葉に、反応した男性が言う。

「これでも一応、プロ目指してるんですよ」

ハルカは詳しい内容は説明せず、その男性に笑顔でそう応えた。
説明したところで、彼が、プロサーファーになるという事が、どんなに大変なのだという事が分かるとは思えなかったからだ。


「じゃあ…」

それからしばらくして、ハルカはその男性と挨拶をして別れた。
ハルカは小走りに砂浜を回り、海岸のビーチ・クリーン作業を続けるのであった。





「暇ねぇ~…」

レストラン「Soul Half」のカウンター席で、頬杖をついたハルカが、厨房担当のシューヘイにそう言った。
時刻は昼の12時を少し過ぎた頃であった。


カラン、カラン…。

その時、入口ドアのベルが鳴った。
お客が入って来た様だった。

ハルカが席から立ち上がり、グラスに水を注ぐ。
そしてトレーと注文票を準備していると後ろから、「すいません」とお客が呼ぶ声が聞こえた。

「はい!」
振り返るハルカ。

「あ!」

そう言ったハルカが見たお客は、今朝海岸で会った、あの男性であった。

「ここで住み込みして頑張ってるんだ?」
オーダーを取りにやって来たハルカに向かって、その男性が笑顔で言う。

「そぉ~なんですよ~!、お客さんお一人?」

「ああ…」

「何に致しましょ~う?」

「この…、キーマカレーを…」
男性は、昨日ハルカが書いた、おススメメニューと書いてあるボードを指差して注文した。

「ありがとうございま~す!」
自分がおススメしたメニューを注文してくれたので、ハルカは、ちょっと嬉しくなり笑顔になった。

「ふふ…」

「何か…?」
その男性が、自分の事を急に笑ったので、ハルカが聞いた」

「いや…失礼…。君、その声を伸ばしたしゃべり方、癖なんだね?」
男性が明るい笑顔でハルカに言った。

ハッ!と気づくハルカ。

「ふふ…」
ハルカのリアクションを見た男性が、また笑う。

「えへへへ…」
ちょっと恥ずかしくなったハルカも、男性に対して笑うしかなかった。

テーブル席に座ってる男性と、その前に立っているハルカ。
二人は互いの顔を笑顔で見つめ合っているのであった。




「へぇ~…。シンガーソングライター…!?」

キーマカレーを運んできたハルカが、男性の職業を聞き、興味津々に言った。
店内には、まだ誰も客がいなかったので、ハルカは男性の前の席に座っていた。

「でも、まだ仕事が全然ないから、今は充電期間中なんだ…」

男性が静かにそう言った。
笑顔で話しているが、心の中はそうでもないんだなぁとハルカは気づいた。



カラン、カラン…。

その時、入口のベルがまた鳴った。
他の客がやって来た様だ。

自分と別ジャンルの仕事であったが、プロの仕事についている彼の話に、ハルカは興味があった。
まだ聞いてみたい事がたくさんあったので、ここで話が途切れてしまうのが、少し残念であった。

「いらっしゃいませ~」
ハルカは入口に向かってそう言うと、男性に向かって「あとで聞くから…」と、ちょっと悔しそうにはにかんで言うと、お客の方へと駆けて行った。




 翌日のランチタイムになると、あの男性はまた店に現れた。
どうやら充電期間というのは、当分の間、続く気配の様なんだなとハルカは思った。

それからハルカは、毎日少しずつ、彼のこれまでの経緯を聞かせて貰った。

彼が、どうやってプロのシンガーソングライターになっていったのか。
彼がこれまでに、いろんな人たちと出会い、別れ、そして支えられながらやって来た事などをいろいろと教えて貰った。

彼の話の中で、特に笑えたのは、音楽の話とはまったく関係ない話であった。
彼の後輩社員だった中出氏という人物の話が、ハルカには1番腹を抱えて笑える話であった。




 それから1週間が過ぎた頃、ハルカの携帯に兄から着信が入った。
暦は7月になろうとしていた。

「もしもし…?」
ハルカが電話に出て言う。

「ハルカか…?、かあさんが倒れた。すぐこっちへ戻って来い!」
少し慌てた様子で、ハルカの兄が言う。

「えっ!?、倒れたって、どういう事?」
驚いたハルカが兄に聞く。

「脳梗塞で倒れた。幸い発見が早かったので、後遺症などはまったくない」

「良かったぁ~…」
少し安堵するハルカ。

「だがその時に病院でMRI検査して、脳腫瘍と肺癌が新たに見つかった」

「えっ!?」
兄のその言葉に再び驚くハルカ。

「詳しい事は、こっちに戻って来た時に話す。今度病院で親族が集まって説明を聞く。だからその時お前も来い」
そう言ってハルカの兄は、病院の場所と日時を彼女に伝えた。


「分かった…。じゃあね…」

そう言って、電話を切るハルカ。
兄からの説明を聞いたハルカの心が、ざわざわと揺れた。




 それから3日後、ハルカはバイトを1日だけ休み、日帰りで実家へと戻って行った。

他の仲間連中には心配をかけたくなかったハルカは、何事もなかったかのようにサーフィンやバイトをその日まで続けた。
ただ1人、店長にだけは母の倒れた話をして、バイトを休み、東京へと戻ったのであった。




 東京、品川神社。

ハルカの実家は、この神社のすぐ裏手にあった。
彼女は東京へ着くと、まず品川神社に寄った。

パンッ、パンッ…。

神社の拝殿に両手を合わせて拝むハルカ。

(どうか…、お母さんの癌が大した事ない様に、お守り下さい…)

そう願い終わると、ハルカは顔を上げた。
今日は例の親族が集まって、担当医師から母の容態の説明を聞きに行く日であった。

「さてと…」
ハルカはそう言うと、母が入院している品川総合病院へと向かった。


 病院に着いたハルカが母の病床へ行くと、既にそこには、長男と次男である2人の兄が、子供連れで妻と一緒に来ていた。

久しぶりに再会したきょうだいたちであった。
今では長男と次男も、それぞれが結婚し、品川の実家ではない場所で暮らしている。

それからハルカは、兄たちの妻に笑顔で挨拶をするのであった。




「先生がお呼びです…」
しばらくすると、ナースがハルカたちを呼びに来た。

母の病状の説明を受ける為に、これから別室へと移動するのである。
長男次男のそれぞれの妻は、小さな子供たちと共にその場に残る事となった。

ハルカは車椅子の母と、2人の兄たちとで、ナースが誘導する別室へと歩いて行った。



「先生…。私はいつまで生きられますか…?」

担当医師の説明が終わった後、ハルカの母親が静かに言った。

医師の説明では、ハルカの母の癌は全身に転移しており、これから抗がん剤治療を始める事が先ほど告げられた。
既にリンパ節にも転移しているという、医者の話から、もう自分は助からないと母が悟ったのであろう。

医師は、なんと答えたら良いのか迷った様子で返答に困り、黙っていた。

「あと3年ですか…?」
答えない医師に、ハルカの母は再度聞く。

「……。」

「あと1年ですか…?」

医師は黙ったままであった。

ハルカの母は、娘の事が気がかりであった。

2人の兄はそれぞれ結婚し、孫を見せて貰う事も叶ったので、もう心配することは何もなかった。
だが末っ子のハルカはまだ未婚であったので、せめて娘が結婚するまでは、自分が死ぬことは出来ないと考えていたのだ。

「あと半年は…?」
更に母が医師に聞く。

何も答える事が出来ない医師。
ハルカたちは、その光景をただ黙って見ているしかなかった。

「さ…、3ヶ月は…?」

「……。」

「わ…、私は、まだ死ぬことができません…。まだやらなければならない事があるんです…」

声を詰まらせながらそう言った母が、悔し涙を流し始めた。
ハルカは、母が自分の目の前で泣く姿を、この時、生まれて見るのであった。


ハルカの家は母子家庭だった。

貧しいながらも、子供3人を育てて来たハルカの母は、どんな苦労があっても、けして子供たちの前で泣く事などなかった。
そんな母が今目の前で泣いている姿は、ハルカにとって耐えようのない、身につまされる思いであった。




「ハルカ!、お前、ケンイチくんと、今すぐにでも結婚しろッ!」

病院から実家に戻って来るなり、長男がイラつきながらハルカに突然そう言い出した。
ケンイチとは、ハルカが高校時代から付き合っている彼氏の事である。

ケンイチは、ハルカの母とも面識があり、彼はハルカの母親にもよく世話になっていた。
彼が高校卒業後、一人暮らしを始めたばかりの時、病気で倒れたケンイチを病院に付き添ったりと、母は何かとケンイチにはよくしてあげていた。

「そんな急に…」
ハルカが言う。

「急じゃないッ!、お前がサーフィンなどして遊び惚けているから、こんな慌てる事になったんだ!」

「遊びじゃないよ…。私は真剣にサーフィンやってる…」

「いつまで子供みたいな夢追っかけてんだッ!、お前いくつになったと思ってんるんだッ!?」
ハルカの言葉を制して兄が怒鳴る。

「相手の親の都合だってあるんだから、私たちだけの都合で一方的に結婚を進めるなんて出来ないよ…」

「そんな結婚するつもりもない男と、お前は何年も付き合ってるのかッ!?」

「そんな…!、そんな事ないよ!」

「だったら、今すぐケンイチくんに電話しろッ!」


 兄に凄まれたハルカは、仕方なくケンイチへ電話をする事になった。

(最悪だ…。まさか女の私からプロポーズする事になるなんて…)
コール音を聴きながら、そう思うハルカ。

だがケンイチは電話に出なかった。
ハルカは少しホッとした。



「じゃあお兄ちゃん、あたし今日は取り合えず伊豆へ戻るから…」
日帰りの休暇しか取っていなかったハルカが兄に言う。

「ああ…、ちゃんとケンイチくんに連絡しておくんだぞッ!」

「分かった…」

「それから、今日戻ったらすぐバイトは辞めて来いッ!、いいなッ!?」

「ええ!?、何年もお世話になってるのに、そんな迷惑な辞め方できないよ…」

「お前この状況で、まだ伊豆にいるつもりなのかッ!?」

「辞めるよ…、辞めるつもりだよ。でも引継ぎとかあるから、あと1週間は待ってよ…」

「分かった…、あと1週間だぞ!」

「それじゃあお兄ちゃん、お母さんの事よろしくね…」

ハルカはそう言うと、実家を後にした。



 午後7時。
ハルカは品川駅のホームで、東海道線が到着するのを待っていた。

その時、駅のホームから人身事故で電車が止まってしまった事を知らせるアナウンスが入った。

「自殺だってよ…」

「あ~あ。やんなっちゃうなぁ…。死ぬならどっか他の場所で死んでくれよ…」

ハルカの近くにいたサラリーマン風の男たちがそう言っているのが聞えた。


 許せない…!、なんで自殺なんかするのッ…!?

世の中には生きたくても、生きられない人がたくさんいるっていうのに…ッ。
そんな捨ててしまう命があるのなら…、私のお母さんに…、私のお母さんに、その命をちょうだいよッ…!

ハルカは、飛び込み自殺したを人物に同情するどころか、むしろ怒りを感じるのであった。



 それから数時間後、列車は動き出した。
ハルカは熱海から伊東線に乗り換えていた。

稲取を過ぎた頃、ケンイチからハルカの携帯へ着信が入った。

「もしもし…?」
車内には人が乗っていなかったので、ハルカは電話に出た。

「ハルカどうしたんだよ?」

「ううん…大したことじゃないの…」

「今度いつ東京に戻るんだ?」

「実は今日、帰ってたの…」

「えっ!?、そうなんだ?」

「お母さんが癌になっちゃって、それでお見舞いに行ってたの…」

「えッ!?、ホントか?」

「うん…、それで今度2人で会って話したい事があるの…」

「何だい話って…?」

「いいの…、その時に話すから…」

「分かった…。じゃあ今度会うときは、俺もハルカのお母さんのお見舞いに行くから…」

「ありがとう…、優しいねケンちゃん…」

「当たり前だろ!、俺はお前のお母さんには散々世話になったんだから…」

「じゃあ、また連絡するね…」

「分かった。今度戻る時は、必ず事前に知らせてくれよな」

「うん…」

そう言うとハルカは電話を切った。
列車は今井浜海岸駅に到着しようとしていた。





「この海とも、もうすぐお別れね…」
翌朝、海岸のゴミ拾いが済んだハルカが、朝焼けの今井浜海岸を見つめながらそう呟いた。


「おはよう!」
海岸を出て、バイト先の「Soul Half」に向かうハルカに誰かが後ろから言った。

振り返るハルカ。
後ろに立っていたのは、いつもランチに現れるシンガーソングライターの彼であった。

「あ…、おはよう…」
ハルカが言う。

「昨日は休みだったのかい?」と男性。

「うん…、でも今日はいるから…」

「何かあったのか?」

「全然!」

「そうか…、じゃあまた後で店に顔出すよ!」
そう言うと彼は、ハルカと反対方向へと歩いて行った。

 あの人、「何かあったのか?」なんて聞いたりして…。
あたし、何か元気ない顔でもしてたのかなぁ…?

彼の言葉が気になったハルカがそう思う。

「イケない!、イケない!」
「接客業してて暗い顔なんて見せられないわ!」

「彼だってきっと将来の事で悩んでるはずだもの…」
「私が暗くなったら、彼の将来に、ますます不安感を与えてしまうものね…」

「よしッ!、今日も1日頑張ろう~とッ!」

ハルカはそう言うと、店の中へと入って行った。




「ハルカちゃん、今週末お別れパーティーをやろうか?」
髭の店長がハルカに言う。

ハルカはレストランの仕事が終わった後、店長にバイトを辞める旨を伝えたのだった。

「え!、でもそんな…。わたし皆さんに迷惑かけて辞めてしまうんですから…」
ハルカが遠慮して店長に言う。

「いいから、いいから…。当日はハルカちゃんのサーフィン仲間もみんな呼んで来なよ…」
店長が笑顔で言う。

「すみません…」
ハルカは店長の温かい言葉に、目頭が熱くなるのだった。




 そして、東京へ帰る前日の夜に、ハルカのお別れパーティーが「Soul Half」で行われた。
パーティーには、あのシンガーソングライターの彼も呼んでいた。


「大丈夫!、しばらくしたらまた帰ってくるから…」
「あのね、人生遅すぎたってもんは無いのよ。やろうと思えば、またいつからでも始められるんだから…」

ハルカは、シンガーソングライターの彼を真っ直ぐと見つめながら、そう言った。

ハルカは彼に、母の病気と今井浜を去る話をしたのだった。
心配そうな顔をして自分を見つめる彼に対して、つい、少し強がって言ってしまった。

それは、彼には夢を諦めないで頑張って欲しかったからだ。
だから自分の弱気なところを、彼に見せる訳にはいかなかったのだ。




そしてパーティーは終わろうとしていた。

「僕も君みたいに、人に力を与えられる様な歌を作るよ」
別れ際、彼がハルカにそう言った。

(良かった…)

ハルカの、彼を応援する気持ちが伝わっていた事に彼女は嬉しくなった。
そしてハルカは目頭が熱くなるのを感じた。

握手する2人。

(いつかまたどこかで、この人と逢いそうな気がする…)
何の根拠もなかったが、ハルカは不思議と、そのときそう感じるのであった。





 翌朝になった。

ハルカは、Soul Halfの店長に最後の挨拶をすると、ひっそりと始発に乗って東京へと帰って行った。

今井浜海岸駅で列車の到着を待つハルカ。
しばらくすると、下田方面のトンネルから出て来た列車が、ホームへと入って来た。

今井浜海岸駅に停まる列車。
乗車するハルカ。
彼女は網棚にバッグを置き、座席に座った。

列車が動き出し駅を出発した。
ハルカは、車窓から見える今井浜海岸の波を眺めながら、少しだけ涙した。

ハルカには本当は分かっていた。
これでプロサーファーになる夢は、終わってしまったのだと…。




 東京に着いたハルカは、実家に戻る前に品川神社へ立ち寄った。
そして、いつもの様にお参りを済ますと、石段を下りて神社の裏手にある自分の実家へと歩いて行った。

誰もいない実家。
鍵を開けて家に入るハルカ。

ハルカは、学生時代に自分の部屋だった場所にバッグを置くと、そのままケンイチの家まで手土産を持って向かった。
ケンイチから、会うときは事前に連絡するように言われていたハルカであったが、まだ朝も早かったので、そのままケンイチの元へ向かう事にしたのだった。

ケンちゃんびっくりするかな…?

ハルカは、ケンイチを驚かすサプライズを想像し、少し含み笑いをしながら歩いていた。


ケンイチの暮らすアパートに着いたハルカ。
ブザーを押すが反応が無い。

まだ寝てるのかな…?

「ケンちゃん、入るわよ~」
合鍵を持っていたハルカはそう言うと、アパートのドアを開けた。

すると玄関に、見慣れない女性のスニーカーがあった。

「ケンちゃん…?」
ハルカは嫌な胸騒ぎを感じながら、家の奥へと入って行った。


「キャッ!、誰よアンタッ!?」
ベッドで寝ていた上半身裸の女性が、シーツで胸を隠しながらハルカにそう叫んだ。

「ん…、ううん…?」
その女性の隣に寝ていたケンイチが、寝ぼけながら身体を起こす。

手土産を床に落とすハルカ。
自分の目の前の光景が理解できずに、彼女の身体は立ちすくんだまま固まってしまった。

「えっ!?、ハルカ?、なんでここにッ!?」
目の前に立っているハルカを見たケンイチが、驚いて言う。

「なによこれ…?、ひどいよ…。酷いよケンちゃんッ!」
ハルカはそう言うと、目に涙を溜めながら部屋を飛び出してしまった。


 外に飛び出したハルカは、悔し涙を浮かべながら早足で歩いていた。


 最悪だ…。
ただの浮気なら、どんなに良い事か…!?

でもこれは違う!
酷い裏切りだ!

私のお母さんが癌だって知ってるくせに…。
ケンちゃん、お母さんに世話になってるって言ってたじゃないッ!?

 酷いよ…。
酷すぎるよケンちゃん…。

私、こんな男性(ひと)と結婚なんて出来ないよッ!


 どうしよう…?
 
こんな事、お母さんに言えないよ…。
ケンちゃんがそんな男性(ひと)だったなんてお母さんが知ったら、ショックでますます容態が悪くなっちゃうよ…。

ハルカは目に涙を浮かべながら、この事態をどうすべきか、悩み苦しむのであった。




「えっ!?、ケンちゃんと別れたってッ?」

病院のベッドで横たわる母が、ハルカに驚きながらそう言った。
ハルカは母の見舞いに病院へ来ていた。

「うん…」
ベッドの横にあるイスに座ったハルカが、目に涙を溜めて母に言う。

「何でまた…?」

「……。」

「言いたくないのかい…?」

そう言った母に、ハルカは無言でコクリと頷いた。

「なら言わなくてもいいよ…。あんたの事だ。きっとよっぽどの事情があったんだろう…?」
母は優しく微笑みながら、ハルカにそう言った。

「あたしは、あんたたちが一緒になるのもんだとずっと思ってたから…。だから母さん、ちょっと驚いちゃったよ…」

「うう…、ごめんなさい…」
ハルカは母のその言葉に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、肩を震わせて泣いた。

「いいんだよ。いいんだよ。あんたの人生なんだから…。私の事なんか気にしなくていいから、あんたのやりたい様にやればいいんだよ…」

「うう…、うう…」
余命の短い母に対し、安心させてあげられない自分が情けなくなったハルカは、声を殺しながら病室で泣いた。




 その夜、仕事帰りに母の見舞いに寄って来た長男が、妻と一緒にハルカの元へやって来た。

「お前、ケンイチくんと別れたんだってなぁッ!?、母さんから聞いたぞッ!、お前、何考えてるんだバカ野郎ッ!」

怒りをあらわにする兄。

隣に立つ長男の妻が、怒り狂う兄を懸命になだめていた。
ハルカは、ただ黙って兄の言葉を聞いているしかなかった。

「まったくお前ってやつはッ!、なんでそう昔っから、いつもいつも、みんなに心配ばかり掛けさせるんだッ!?」
「最後の最後ぐらい、親孝行してみろッ!」

「私…、そんなに悪いコだった…?」
涙目のハルカが兄にポツリと言う。

「ああ、そうだッ!、特に今のお前は最低だぞッ!」
そう言った兄の言葉にうなだれるハルカ。

「こうなったら、俺の知り合いを片っ端から当たって、お前と結婚させるしかないッ!」

「今は、とてもそんな気持ちになれないよ…」

「いいから言う事を聞けッ!、そうしなけりゃ母さんが死ぬ前に、お前のウエディングドレス姿を見せてあげられないんだぞッ!」

「そんなペットを貰ってくるみたいに、簡単に言わないでッ!」
「私だってお母さんに、ウエディングドレス姿を見せてあげたいよッ!」

「でもッ…、お母さんが死んだ後、無理やり結婚した私の人生はどうなるのッ!?」
「お母さんが死んだ後の、私の人生の方がずっと長いんだよッ!?」

ハルカが泣きながら兄に喰らいついた。

「いいかげんにしろッ!」

兄に頬をパシッとひっぱたかれたハルカが、叩かれた箇所を手で押さえる。
そしてハルカは、涙目で兄を睨みつけると立ち上がり、そのまま走って家を飛び出してしまった。

「あなた!、何も叩かなくても…ッ!」
ハルカの兄に妻がそう言った。

「良いんだ…。ウチはあいつが小さいときから父親がいなかった。だから俺はハルカの父親代わりをずっとやってきたんだ。あいつを甘やかす事は俺には出来んッ!」
ハルカが飛び出して行ったドアを見つめながら、ハルカの兄はそう言うのであった。



 夜道を泣きながら小走りするハルカ。

もうヤダ…。
死にたいよ…。

自分が情けなくて、死にたい気持ちだよ…ッ!

そう思ったハルカが、ハッと我に返り立ち止まった。

 私…、あのとき飛び込み自殺した人の事をけなしておいて、今、自分が自殺したいなんて考えてた…ッ!
一生懸命、生きたいと頑張ってる母に対して、私はなんてことを思ったんだッ…!


 本当だ…。
お兄ちゃんの言う通りだ…。
私って最低ね…。

ハルカは夜の街灯の下で立ちすくみ、自分を責めるのであった。





「聞いたよ…。お兄ちゃんと喧嘩したんだって…?」
翌日、母の見舞いに来ていたハルカに母がそう訪ねた。

母の問いかけに、無言で頷くハルカ。

「ねぇ、お母さん!、私って悪いコだった…?」
するとハルカが、母にすがる様に突然聞いた。

「なんだい突然?、お兄ちゃんにそう言われたのかい?」
母がそう聞くが、ハルカは何も言わずに、黙って母の顔を見つめる。

「あんたは別に…、反抗期とかもなかったし…、良いコだったよ…」

母が思い出す様に、ハルカへそう言う。
だがハルカは、そんな説明じゃ納得できないという表情で、母の事を恨めしそうに黙って見つめた。

「何だい?そんな顔して…。そんな説明じゃ納得できないって顔だね?」
母がそう言うと、ハルカは無言で、“うんうん”と、頷くのであった。

「あんたが小学5年生だったとき…」

母が静かに話し出す。
ハルカは「え?」という顔をして母を見つめた。

「あんたが小学5年生だったとき…、母の日に、私にカーネーションを買ってくれた事があったね?」
ハルカは頷くと、母の話を黙って聞いていた。

「近所のよっちゃんから、今日は母の日だからカーネーションを買いに行くんだって言われて、それであんたも私に買ってくれたんだよね?」

母の言葉に黙って頷くハルカ。

「あの頃、カーネーションは1本250円だった…。でもあんたの、ひと月のおこずかいは500円だった…」

「あの頃は、みんなそんなもんだったよ…」
ハルカが言う。

「でも、よっちゃんの家は裕福だった。おこずかいも、あんたなんかよりもずっと貰ってた…。ごめんね…、家は貧乏だったから…」

「そんな事ないって…」

「あんたはその少ないこずかいの中から、私の為に1本のカーネーションを買ってくれた…。自分の欲しいものも我慢して、私の為に、おこずかいの半分も使って買ってくれた…」

「……。」

「その時、私は嬉しかったけど、あんたに対して本当に申し訳ないと思ったよ…。でも、それと同時に、この子はなんて優しい子なんだろうって誇らしくも思ったよ」

「家が母子家庭で貧乏だったのに、あんたは少ないこずかいで、私に花を買ってくれたんだもの…。私はその時、もっともっと、子供たちの為に頑張らなきゃって、あんたから力を貰ったんだ」

「貧乏だから子供3人育てるのは大変だったけど…、あの時には、あんたを産んで良かったって、本当にそう思ったよ…。ありがとうね…ハルカ…」

ベットで横たわる母が、笑顔でそう言い終えた。
母のその言葉に救われたハルカは、泣き顔を見られまいと下を向いて、静かに涙するのであった。



 それから一ヶ月後。
母の容態は日に日に悪くなって行った。

抗がん剤の副作用で、常に吐き気を催し、病院の食事もほとんど喉を通らなくなってしまった。

どんどん痩せ細っていく母の姿は、まるで廃人の様だった。
やがて一人で起き上がる事も出来なくなり、口数も少なくなっていった。

人間の最期は、こんな風になってしまうものなのか…!?

ハルカは母の元気だった頃の姿を思い出すと、今の母が可哀そうで見ているのが辛かった。


 そしてそれから数日後、癌の痛みを和らげる為に、ついにモルヒネの投与が始まった。
モルヒネを投与してからの母は、眠り続ける事が多くなった。

見舞いに行っても会話はまったく無く、ただベッドで眠り続けている母の寝顔を眺めているだけの日々が続いた。
たまに母が目を覚ますと、モルヒネの副作用の幻覚症状で、誰もいない壁に向かってハルカの事を、「娘なんです…」と、紹介したりした。

ハルカは後悔した。
モルヒネを投与する事で、母がこんな風になってしまうのかと分かっていたら、もっともっと母と話しておけば良かったと…。


 そして、最初に医師から説明を受けた日から半年後に、ハルカの母は静かに息を引き取った。
医師の話では、よく半年も頑張ったと褒めてくれていた。



 母の人生は、果たして幸せだったのか…?

ハルカは母の葬儀に参列しながら、そんな事を考えていた。

 母は、私たち子供のせいで苦労だけして、やりたい事も、欲しいものも我慢して、終わってしまった人生だった。
これじゃ、ただ子供の犠牲になってただけの人生ではないのか…!?

母に、孫はもちろん、結婚をした姿さえ見せられず、最期まで何も安心させてあげられなかった自分をハルカは悔いた。

 だが、それでも自分は生きて行かなければならない事も、ハルカには分かっていた。
せめて母の分まで、これからの自分の人生を幸せに暮らしていく事が、唯一の親孝行なんだと、自分に言い聞かせるしか、ハルカにはなかったのであった。





 やがて品川神社の裏にあったハルカの実家は取り壊され、その土地を売却した遺産をきょうだいたちが相続する手続きが行われた。

しかし兄たち2人はその遺産を放棄し、ハルカ1人にその財産を分け与えるのであった。
これから女の独り身で生きて行く事になるハルカに、生活が苦しくならない様にという、兄たちのせめてもの想いがあったのだ。




 それからハルカは、その相続したお金で一軒の古民家を購入した。
場所は湘南の、江ノ電極楽寺駅から、ほど近い坂ノ下にある家であった。

その家のある場所は少し高台になっており、家の目の前からは由比ヶ浜海岸が見渡せた。
由比ヶ浜海岸は、サーフィンやヨット、またはSUPを楽しんでいる人たちの姿が確認できた。




 2005年5月
湘南由比ヶ浜海岸

「ん~~~~~~~~~ッ……」

太陽に反射した海に向かって、腕を左右に大きく伸ばしたハルカが言う。
ハルカの足元には、海岸からの緩やかな波が流れ込んで来ていた。

ハルカは長かった髪をバッサリと切って、ヘアスタイルをショートボブに変えていた。


「さてと…。ここから私の新しい人生が始まるのね…」

「実現できるかどうかは分からないけど、取り合えずここでイチからプロサーファーを目指してみますかぁ…!」
「だって私、あの人に…、あのシンガーソングライターの人に、いつでもやれるって言っちゃったからね~♪」

そう言うとハルカは、ふふふ…と笑った。



「取り合えず、仕事探さないとね…」
そう言うと、ハルカは1枚の求人募集のチラシを手にし、自転車にまたがった。

ハルカが手にしたチラシは、材木座にあるデリカショップの求人募集のチラシであった。
その店はサーファーや、海水浴客がテイクアウトする為の、海の近くにあるデリカショップだった。



「私の事、面接で落とすなよぉ~…」

ハルカはニヤニヤしながら、まだ見ぬ面接者に向かって、そう独り言を言うと店に向かって自転車を漕ぎ出した。
彼女のいつもの癖である、語尾を伸ばした喋り方で…。



海岸線を自転車で走るハルカ。
由比ヶ浜では多くのサーファーたちが、波乗りを楽しんでいる姿が見えるのであった。



To be continued….






解説
今回のお話は、シュチュエーションを若干変えてはおりますが、概ね実話を基に書かれております。
残り少ない命の人に対して何ができるのか?
そういうとき、人はつい、取り乱して暴走しがちになります。
相手を思いやる気持ちも、もちろん大切ですが、その相手に対して心の負担を背負わせてしまう様な行動はいけません。
大事なのは、安らかに過ごせる様に見届けてあげる事なのではないでしょうか。