ジョージ・カックルさんの好きな比企谷(ひきがやつ)妙本寺 | 探検塾

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好奇心のつづく限り、体力のつづく限り、

鎌倉駅に近いのだけれども、お寺までの参道に風情がある。
参道から総門までたどり着き、境内で小ぶりだけれども毅然とした二天門をとおり、本堂(祖師堂)へ。
拝観料は取らず、本堂を囲む廊下までは誰でも歩くことができて、夏には本堂を囲む木の緑が美しく涼しい風がとおるので気持ちよい。
ジョージ・カックルさんが妙本寺をお気に入りにしている理由です。

境内の入口にある比企谷幼稚園も妙本寺の雰囲気をよくしていると僕は思います。
多角形の堂のような建物は魅力的で、その前の参道上では幼稚園児を迎えるために来ているのであろうヤングママさんと幼稚園に上がる前の幼児たちがにぎやかにしている。
毎年4月に年長さんがお稚児行列をして境内の中の日蓮上人像に献花する行事は、タウン誌がとりあげるかわいいニュースです。


総門までの石畳の参道

 
寺の入口にある比企谷幼稚園

 

 
お稚児さん行列

「鎌倉殿の十三人」の世界だと、ここは鎌倉幕府の有力御家人だった比企一族がほろんだ悲劇の地となります。

比企氏は元々は武蔵野国の豪族で、当時の一族の首領だった比企能員の母の比企尼が京都で源頼朝の乳母であった縁で、鎌倉幕府の開府とともにこの地に居を構えた。
源頼朝の妻北条政子が長男を比企の家で生むこととなり、比企能員とその妻は二代将軍となった源頼家の乳母父になった。
頼家が長じると、比企能員の娘の若狭局が嫡子一幡を産んだことより、北条氏と並び立つほどに権勢を強めていった。

二代将軍源頼家を盛り立てようとする比企氏、頼家の権力をそいで集団指導体制にもっていこうとする北条氏、三代将軍を頼家の嫡子一幡に決めようとする比企氏、頼朝の次男の実朝にしようとする北条氏。
このような先鋭的な対立の結果、北条氏により比企一族は滅ぼされてしまいました。

鎌倉幕府の反体制派宗教家だった日蓮上人は、比企能員の妻に送った法号である妙本を寺の名前として、比企邸の跡地にこの寺を建立しました。

北鎌倉の山の内は北条氏の所領であり、そこには北条氏の代々の執権が建立した大寺院、つまり鎌倉五山のうちの建長寺、円覚寺、浄智寺があり、縁切りの東慶寺やあじさいの明月院もあります。
みんな拝観料を取り観光施設として栄えながら、威厳を保った境内空間を維持している。

妙本寺の印象はこれらの北条氏系の臨済宗の寺とはおおきく異なっていると僕は思います。
地元に親しまれながら、歴史上に起こった悲劇もしっかりと伝えている。
なかなか味わいがあるお寺でしょう。
こういうお寺を鎌倉で好きな寺として紹介するジョージ・カックルさん。
僕もジョージさんの紹介で妙本寺を知り、気に入りました。


祖師堂を囲む木々

 

比企一族の墓