30年前に村上春樹に何が起きたのか – 遠い太鼓より | 探検塾

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フィリピンで有名な本屋チェーンは ‘National Bookstore’ だけど、ここにはいつ来てもつまらない。何というか、本を売り文化を発信しようという気概はまったくなく、実務書、辞書、子ども向け絵本と参考書、世界名作選のような古典小説とKIOSKでも売ってるようなアメリカのペーパーバックしかない。

 

僕はこの本屋の状況はフィリピンの文化の底の浅さを示していると思っていたけれども、最近は刺激的な本屋のチェーンが出てきました。名前はちょっとジョークぽい ‘Fully Booked’。

 

 

ここには人気の現代作家の本が相当量手に入ることができる。日本の作家だと村上春樹がやはり一番人気で、どの店でも本棚一列か二列にわたり春樹コーナーがある。村上春樹だと新刊は必ず紹介されているけれども、部数多く陳列されているのはいまだに「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」。

 

どの国でも村上本は似たような傾向なのだろう。それまで数万部分の読者を持っていた若手作家が「ノルウェイの森」を世に出して突然百万部以上を売るスター作家になったのが1987年。もうかれこれ30年が経った。

 

彼は何でこんなに売れたのだろう、そして世界中に読者を獲得して、以後つねに求心力を失わない創作活動をしているのはなぜなのだろう。

 

そんなこと春樹本の深い読み手でも何でもない僕にわかるわけがないのだけれども、「遠い太鼓」は読めば誰でもこの世紀のベストセラーの舞台裏がわかるというある意味便利本です。

 

「遠い太鼓」は村上春樹が37才でヨーロッパに住むことを決めて、ローマを拠点としてギリシャ・エーゲ海の島や南北イタリア、ドイツなどの都市に短期間アパートを借りながら過ごした3年間を書いた旅行エッセイ。

 

彼は40前にしなければいけない仕事があると強く感じて、身の回りを整理して強い意志で日本を飛び出した。そしてこの間に異国で「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」の二本の長編小説を書いた。そして結果としてこの3年間は彼が予期したとおりに作家人生において豊穣の時を迎えることができた。

 

僕が「遠い太鼓」で羨ましいなと思ったのは、3年間一緒にいてくれた奥さんの存在。なんと彼女はヨーロッパの経験はたぶんほぼ皆無だっただろうにガイドブックの類いは一切読まない。これは作家である夫が思索して作品を書くための旅なので、その過程を邪魔したくないという心づもりだったのだろう。

 

だけどわけのわからないところに連れて行かれて一緒に生活しろといわれて、訪問地で何を期待してよいのかもわからなければさすがに困るので、彼女は夫にとってはとても基本的な質問を連発する。それに対して作家である夫は、当然ガイドブック片手に旅行しているので、はじめはまるでガイドブックを読むように説明するが、だんだんと自分はなぜここに来たかったのか何をしたいのかについて頭を整理して話し出す。ある意味この奥さんは読者代表として作家にインタビューしつづけて、作家の創作活動を刺激しているようだ。

 

もう一つ、僕がこの奥さんがいいと思ったのは、夫と音楽という共通する趣味があること。夫が作家として経済的に自立できる前は、二人でジャズ喫茶を7年間開いていたので、奥さんも音楽をよく知っている。クラッシックのピアニストについては相当に詳しそうだ。

 

僕は、40を前にヨーロッパで3年間過ごした村上春樹は、太宰治に似ているなと思った。太宰は青春小説を書き続けていて、齢40になったらもう書けなくなる、小説家として終わりだと思っていたのではないか。そして40前に「斜陽」「人間失格」と代表作を世に出して、大して親しくもない女性を巻き込んで入水自殺した。

 

村上春樹は「遠い太鼓」の中で奥さんとの二人の関係を、楽天家と悲観家と対照的に説明しているが、本を読めば夢想、妄想に走りやすい夫と現実感覚のしっかりした妻としか理解できない。

 

彼は太宰と同じように40前で天の声に促されたかのように代表作となる青春小説を書き上げた。ただ彼には大学時代からコンビを組んでいる奥さんがいるので、そのピークを越えたあとも着々と執筆活動に励むことができて、30年が経った今年「ノルウェイの森」が世界の主要言語に訳されて一千万部以上という日本人作家としては空前の発行部数を記録しているのを横目で確認しながら、いまだに現役の作家として文章を編み出すのに日々格闘している (のだろう、たぶん)。